嘘八百日記

このブログ記事は全てフィクションです。

ペットの名前は『希死念慮』

最近、僕はペットを飼い始めた。いや、飼わざるを得なくなったと言った方が正しいかもしれない。

ある日、僕が学校から帰宅すると、ソレはいつの間にか僕の部屋に入り込んでいた。どこにそんな隙間があったのだろうか。

僕は何度もソレを追い出そうとしたのだが、ソレは我が物顔で僕の部屋に居座り続けた。強情なやつだ。

仕方がないのでそのまま放っておくことにした。

だが、しばらく放っておくとソレは耳障りな鳴き声をあげるようになった。それがかなりうるさくってなかなか寝付けない。そんな日が何日か続いた。

いつまで経っても静かにならないので、僕はソレの前にソーセージを1本置いてみた。もしかするとソレはお腹が減っているのかも、と思ったのだ。

僕の予想は的中した。ソレは凄い勢いでソーセージを平らげ、「もっと欲しい」と言わんばかりに僕を見つめた。

ここでご飯をもっとあげないと、またうるさく泣きわめくかもしれない。僕は仕方なく、冷蔵庫に入っているソーセージを全てソレに与えた。

ソレはソーセージを6本平らげると、やっとお腹がいっぱいになったのか、満足そうに寝転がった。体の大きさは僕の膝に乗るぐらいで、そんなに大きくもないのに、かなりの量を食べるんだなと僕は感心した。

次の日。僕は何日かぶりの安眠から目が覚めると、床に転がるソレの寝姿が目に入った。

ソレは昨日よりも少し大きくなっているように見える。すやすやと穏やかに眠るソレは何だか少し可愛く思えた。僕は背中を優しく撫でてやった。

僕が部屋を出ようとすると、いつの間にか起きていたソレが足元にじゃれついた。僕がいなくなるのが嫌なのだろうか。

この部屋でソレと一緒に遊ぶのは何だか魅力的に思えたが、今日は学校がある。もう僕は行かないと、と言いながらソレを撫で、僕は部屋を出た。

帰宅して部屋に戻ると、ソレは入口の近くで座っていた。僕の帰りを心待ちにしていたのか、ソレは僕が部屋に入ると嬉しそうに鳴いた。

待たせてごめんね、と呟きながら僕はソレをワシャワシャと撫でる。ソレは気持ちよさそうにリラックスしていた。

そして、僕はソレに餌をあげた。今日はベーコンだ。

ソレは美味しそうにベーコンを4枚も平らげ、 小さくゲップをした。お腹いっぱいになったようでよかった。

それから僕とソレは一緒に遊んだ。テニスボールを転がすと、ソレは必死に追いかけてボールを捕まえる。そのボールをもらった僕がまた違う方向にボールを転がす。

かなり単純な遊びなのだが、ソレは何回やっても飽きることなく楽しそうに続けた。

何度目かの往復が終わる。沢山遊んで疲れたのか、ソレは眠たそうにあくびをした。

僕はソレを布団に入れてやると、その横で僕も一緒に寝ることにした。暖かい寝床が気に入ったようで、ソレは布団に体を擦り付け、気持ちよさそうに眠った。

僕とソレの生活はそれから何日も続いた。ソレは日を追う事にどんどん大きくなっていった。

気づけば、僕はソレと過ごす日々がかけがえのないもののように感じていた。僕の生活はだんだんとソレが中心に回るようになった。

僕は他のことはどうでも良くなってしまって、部屋の外から出ることがなくなった。

ソレはどんどん大きくなって、何だか僕の部屋が狭くなったように感じる。

部屋の外に求めるものは何も無い。ここにいればソレと一緒にいられるのだから。僕のやりたいことはそれ以外に無い。

ソレが僕の体より大きくなったある日、僕はいつものようにソレと一緒に遊んでいた。あのテニスボールを使った遊びだ。

すっかり大きくなったソレは動きづらそうではあるが一生懸命にボールを追いかけ、捕まえたら僕に渡す。

偉いぞ、と僕はソレのお腹をいつもの様に撫でた。

すると、撫でていた僕の右手が見えなくなった。消失したのだ。

突然のことに僕は理解が追いつかず、困惑しながらソレを見た。

ソレに触れていた僕の腕もどんどん消える。いや、よく見ると消えているのではなく、ソレに取り込まれているようだった。

やめてくれ、と僕は必死で腕を引き抜こうとするが抵抗も空しく、僕の肩までソレの中に入ってしまった。

ソレは何も言わない。僕がソレの体に飲み込まれているのをただじっと見つめるだけだった。

僕はただただ恐怖した。このまま僕の体が全てソレに取り込まれたら一体どうなってしまうのだろうか。

ソレの感触は冷たくて、触れているだけで凍えてしまう程だ。

何とか抜け出そうとしばらく暴れていたのだが、右足と右上半身がソレに飲み込まれた時点で僕は諦めてしまった。

ソレから逃れようと必死にもがいた所で無意味だ。ここまで来たらもう遅い。僕はもう逃げられない。

何がいけなかったんだろうな。ソレをここまで飼いふとらせたのが悪かったのか。そもそも、ソレを僕の部屋に受け入れてしまったのが悪かったのか。

薄れていく意識の中、僕は後悔ばかりを繰り返していた。

そして、僕の存在は全てソレに呑まれた。

ソレの中はどこまでも暗く、ひどく寒い。この空間には静寂が満ちており、心地よさもある。ここには何も無いし、何も起こらない。

段々と『僕』という存在の輪郭が崩れて、この場所と一体化していくような、そんな感覚があった。

穏やかな安寧を享受した僕は、これまでにないほど静かで、誰にも脅かされない眠りについた。