2月21日 近所の公園にて自殺未遂
今から五年以上も前のことだ。
私は肩にかけたカルディのエコバッグにウイスキーの瓶と薬を詰め、深夜の公園に来ていた。昔読んだ自殺のマニュアル本には、凍死は一番苦痛の少ない自殺方法だと書いてあった。大学院での研究にも就活にも行き詰まり、荒んだ生活を送っていた私はそれを真に受け、実行しようと思い立ったのである。
肩のカバンのずっしりとした重みは、どこか頼りげがあり、これからやっと死ぬことができるのだと薄明るい希望を持たせてくれた。
昼間には学校帰りの子供たちが座ってたであろうベンチに座り、手のひらへ雑に出した幾ばくかの睡眠薬を口に含むとウイスキーを勢いよくあおった。熱を帯びたかのようなアルコールに喉がひりついた。
最初は頭がフワフワして気持ちよかった。街灯に照らされた無機質な住宅街も、なんだかとても素晴らしい景色のように思えた。これまで悩んでいたことが些細なことに感じた。
午前三時頃から目眩と気持ち悪さが出てくる。変な鳴き声の鳥がすぐそばにいたのが印象的だった。その後に意識を失った。
目が覚めると午前五時だった。燃えるように輝く朝日を見ながら砂の上に胃の中の物を吐いた。最初は酒や水が出たが、何度も吐いていると胃液がでてきて最後には血が出た。
猛烈な寒気と目眩と吐き気の中、このままここに居ると不審者として近隣住民に通報されそうだと思い立ち、急いで家に帰った。公園には2人ほど通りかかったが、どちらも私を遠巻きに不審そうな目で見ていた。
帰る時はとても苦しかった。 視界がグラグラと揺れ、足元もおぼつかない状態で急な坂道を登る。何度か転びながらも家に着いた。
結局死ぬことはできなかった。己の情けなさ、思い切りのなさに涙が出てくる。泣くのにはある程度のエネルギーがいる。ひとしきり泣いた後は力尽きて床に崩れ落ちた。
私は何も変わることができなかった。
クラスメイトと浮気した後に飛び降りた話
「ねぇ、わたしと浮気したの、後悔してる?」
小首をかしげながらそう尋ねるのは、私と同じクラスの女子生徒、ユマだ。
彼女は曖昧な返答をとても嫌う。それはこの数カ月間で知ったことだった。だから私は、彼女の黒目がちな瞳を見つめ、「してない」とだけ答えた。
「ふーん、そう」
ユマはつまらなそうな顔で再び空に目を向けた。
私たちは今、放課後の屋上にいる。
毒々しいほどまでに赤い夕陽は、ユマのあどけない顔を煌々と照らしていた。
「ユマはさ、こんな終わり方で本当によかったって思ってる?」
私はその横顔にある種の神聖さを覚えながら、彼女に尋ねた。
「もちろん、そうだけど。今更なんでそんなこと聞くの」
「それは……」
私が言い淀むと、ユマはこちらに向き直る。彼女は、怒りとも悲しみともつかぬ感情に歪ませていた。
「あなたの心の中にいるのは、誰?」
ユマの目には昏い熱情が燃えていた。尻込みする私は、ユマにセーラー服のスカーフを捕まれた。
「今、わたし以外のこと考えてたでしょ」
頭ひとつ分背の低い彼女の顔が、すぐ目の前にある。私は思わず彼女から目を逸らした。
「やっぱり。まだあいつのこと考えてたんだ」
「違うよ」
反射的にそう答えたが、それでもユマは私を掴んで離さなかった。
「わたし、嘘はきらいなの」
ユマの息が顔にかかる。それが少しだけくすぐったかった。
「あなたが最低な選択を平気で出来るのに、後でぐずぐずと悩むようなしょうもない奴だって、もうわかってるから。だから正直に言って」
そう言うとユマは私のスカーフを離す。
「あなたの彼氏――風間のこと、考えているでしょ」
「……ごめん」
私は頭を垂れる。ユマの言う通りだった。私はここまで来て、自分が裏切った恋人のことが頭から離れなかった。
「やっぱり。わたしと浮気したの、後悔してるじゃない」
「……ごめん」
本当はもっと言いたいことがあった。ユマと浮気したこと――体の関係を持ったことに後悔しているのではなかった。ただ、かつて私のことを好きだと言ってくれた風間くんを傷付けることになったのを悔いているのだと。
しかし、それは全く筋の通っていない言い訳にすぎなかった。
「……まあ、いいわ」
ユマは慈しむかのように、私の包帯を巻かれた首をなぞった。何度も彼女に絞められた首は鬱血し、青黒い痕が残っている。
ぴりり、とした痛みが走った。だが、今ではそれすらも愛おしく思える。
「首を絞められて悦ぶマゾヒストのあなたには、わたしみたいなのがお似合いなの」
彼女は嗜虐的な笑みを浮かべながら、私の顔を覗き込んだ。
「あなたは恋人を傷つけた汚い裏切り者。わたしは他人のものを奪わずにはいられない略奪者。それにわたしたちは同性愛者で性的倒錯者。で、それが学校中にバレました」
私たちの関係は結局、風間くんに知られてしまった。ショックを受けた彼は、私たちのことをクラスメイトに伝えた。
それから私たちは生徒たちから侮蔑のこもった眼差しで見られるようになった。他者を貶めて愉しむ女子生徒たちの恰好のターゲットとなり、一通りの嫌がらせは受けた。
「この世界が歪なわたしたちを受け入れてくれないのなら、わたしたちの方から世界を拒めばいい」
冷たい風が屋上をびゅうと吹き抜ける。ユマの長い黒髪はなびき、乱れた。
「もういい?人が来ないうちに済ませましょう」
ユマはフェンスに足をかけ、よじ登る。私もその隣で彼女に倣った。
フェンスの向こう側は、生死の境目だ。
あと一歩、前に踏み出せばおわり。
そんな状況なのに、私は自然と笑みがこぼれていた。
「なんで笑ってるの」
ユマは怪訝そうにこちらを見つめる。
「……もしも、このまま私たちが死ねば、周りはどう受け止めるんだろうって考えてたら、何だかおかしくなってきて」
「……やっぱあなたって、変」
ユマはそんな私を見て、軽く微笑んだ。
そうして私たちはしばらく声を出して笑った。
「どうだっていいよ。どうせ、思春期特有の取り返しのつかない戯れとか、いじめを苦にした自殺とか、来世で結ばれるための心中とか、言われるんでしょう。でも、わたしたちは何も言わないし、何も遺さない。わたしたちがここで死ぬ理由は、永遠に閉ざされた箱の中」
皮肉な笑みを浮かべるユマは、私の手を強く握った。
「私たちを死に至らしめるのは、そんな量子力学的存在なわけか」
「そういうこと」
先ほどより強い風が、私たちの制服をはためかせる。私たちを死の世界へと誘うように、風は背中を押してくるようだった。
「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと。この世はどこかで羽ばたく蝶のゆめ。さあ、わたしたちはこんな悪夢から目覚めましょう」
真っ直ぐ前を向くと、夕暮れ時の街並みに明かりがぽつぽつと灯るのが見えた。それはまるで、よくできた舞台装置のように今の私には思えた。
「次に目が覚めたら、ユマは隣にいてくれるかな」
私もユマの手をしっかりと握る。小さくか弱い手からは、あと一歩を踏み出す力をもらえた。
「当たり前。夢はあなたが思うがままに描けるのだから」
ユマの微笑みは清らかで、冷たい風の中でも私の心を温かく包みこんでくれる。
これなら大丈夫だ。そんな気がしてくる。
「……ありがとう」
私はユマを見る。
「お礼はいいから。じゃあいくよ」
「そうだね」
私たちは、何もない空へ一歩を踏み出した。
インターネットと同化しました
この文章は わたしの脳からちょくせつ出力しています
スマホもつかってないけど このブログがなぜか書けるのです
ふしぎですね
あ いま嘘だっておもったでしょう
ほんとうなんです でも それを証明する手段はありませんね
わたしは広大なインターネットの海のなかで ふわふわと明滅する 一匹の小さなくらげとなったのです
プランクトンみたく ちらちら光る 0と1とをたべ みなさんの端末から放たれる電波を取り込み くだらない文章を吐き出す そんな一匹のくらげです
人間にもどりたいとは思いません
ここはとても居心地がよいのです わたしのような心のきたないものには このくらいにごっている方がちょうどよいのでしょう
さて そろそろ はてなブログの海域はでて もう少し深いところまで潜ってみようと思います
ふたば☆ちゃんねる なんていいかもしれないですね
それでは わたしはこのへんで失礼いたします
みなさま よき倫理を
それでは、よい週末をお過ごしください。
「……それにしても、卒業式終わりに公園のベンチでお菓子を食べるって……小学生じゃあるまいし」
「えぇ~? わかってないな~! 桜を見ながら公園のベンチで食べるってのが最高にエモいんじゃん!」
「お前、ことあるごとにすぐエモいって言うよな。もっとボキャブラリーを増やせよ」
「あたしはタクミと違って頭良くないから無理! 」
「はいはい。でも、もう最後なのに俺なんかとこんなところにいていいのか?ハルはクラスに沢山友達いただろ」
「うーん、でも、やっぱ最後はタクミと一緒にいたいなって」
「何だよ、それ。反応に困るんだが」
「……もう。これだからタクミはダメなんだよ」
「何がダメなんだよ」
「……何でもない!こっちの話!」
「……そ、そうか」
「……それにしても、もう3月だけど、まだちょっと寒いね!」
「それはお前のスカートが短すぎるからだろ。もう少し健全な長さにしろ」
「別に短すぎじゃないし!これが可愛いんじゃん! …………でも、このベンチ、金属で出来てるから太ももが直に冷えるわ~」
「……だから、反応に困ることを言うんじゃない」
「え、もしかしてタクミ、ちょっと恥ずかしがってる?今、あたしの太ももに目線向けてたよね?」
「はぁ?そんな訳ないだろ!ハルとは小学校からの付き合いだし、今更異性として見れないな」
「…………」
「何だよ、急に黙りこくって」
「……っ……、ぅ……」
「え?」
「ぐすっ……ぇぐっ……どうして、どうしてっ、そんなひどいこというのっ……ぅぁ!」
「……えっ、えぇっ?急に泣くなよ!なんなんだよ!」
「タクミっ……、あたしのこと、女の子として見てないってことだよねっ……」
「いや、まあ、そういうことだけど……」
「だからだよっ!だからぁっ、ぅえ、それが辛くてっ……、ぐすっ……」
「…………ああっ、もう!わかったよ!わかった。俺はハルのこと、ちゃんと女の子として見てます!だからもう泣き止めって!」
「…………ほんとに?」
「ああ、本当だ!……これでいいか?」
「…………ぷっ」
「…………ん?」
「……くくっ、……くふふっ」
「……今度はなんだよ」
「…………ははっ、あは、あはは!!タクミ、引っかかった~!」
「……は?」
「今のは嘘泣きでした!タクミ、本気で焦ってたね~!」
「あ、あのなぁ!!お前、人の気持ちを何だと思ってんだ!!」
「タクミこそ、あたしに異性として見てないなんて言って、あたしの気持ちを考えてなかったじゃん!」
「それは確かに俺が悪かったが……それにしても悪質だぞ!次からは引っかからないからな!」
「はいはい。…………でもさ、次、があれば、今日が最後じゃなければよかったのに、ってやっぱり思うな。……またタクミの焦った顔見たいしね」
「理由が不純だな…… だが、今更どうこうしても、今日が"最後"であるのは変わらないぞ」
「……まあ、そうだね。こんなに何もせずにのんびりしてるのって、あたしたちぐらいかも。 あ、ほら。あそこでまた車が事故った」
「うわ。 4台まとめてとは、これはまた酷い事故だな」
「……みんな、そんなに急いでどこに行きたいんだろうね~」
「さあな。どこかにいけばもしかしたら助かるかも、と藁にも縋る思いなんじゃないか?」
「でもさ、多分無理だよね。なさ?とじゃくさ?だかが、地球全体が滅びるぐらいの隕石が落ちてくるって朝のニュースで言ってたし」
「NASAとJAXAな。かつて恐竜を絶滅させた小惑星級の隕石が落ちてきて、その隕石は現在の技術ではどうすることもできない、とも発表していたな」
「じゃあさ、もしかしたらさ。かつて地球で暮らしてた恐竜たちも、今あたしたちが見てる空と同じ空を見て、絶望してたのかな」
「……ハルにしては随分詩的なことを言うな。そう考えると、隕石が邪魔してちゃんと見えない青空にも、少しは好感が持てるな」
「タクミ、あたしのことバカだと思ってるでしょ!も~!」
「学校の成績と日頃の言動から総合的に判断すると、バカだな」
「ひっど~~! クラスの女子たちに今のをチクってタクミの人気を下げてやりたい!!」
「人気もなにも、俺は元々そんなに人気はないだろ」
「……自覚なし、か~! だからタクミはダメなんだよ」
「お前、さっきも言ってたけど、俺がダメって何がだよ」
「ど・ん・か・んってこと!タクミは頭もいいし、背もそこそこ高いし、顔もそんなに悪くないし、大学だってかなりハイレベルな所に受かってたし、クラスの女子たちの中では結構人気だったんだよ?」
「……はあ、そうなのか」
「あぁ!ちょっとニヤけてる!無関心なフリしてほんとは嬉しいんだ! 」
「そりゃあ、まあ、な?」
「……む~、何か複雑だな~」
「何だよ、複雑って」
「ん~、わかんないけど、なんかヤな感じ!」
「ハルは本当、昔から自分の気持ちを言語化するのがへたくそだな」
「うっさい!…………でも、タクミは第一志望の大学に受かってたけど、入学できずに終わっちゃうのは悲しくないの?」
「そうだな、やっぱ悲しいよ。最初はそれこそ絶望してた。あんなに必死になって勉強したのが全くの無駄になってしまうんだからな。だが、最後の日が近づくにつれて、諦めというか、達観というか、いつの間にかこの、どうしようもない現実を受け入れてしまったな」
「そっか…… 」
「ハルこそどうなんだ? 確か、保育士の専門学校に入学する予定だったよな」
「そうだね…… 保育士になるっていう、小さい頃からの夢が叶わないまま、最後の日を迎えるのは悲しいよ。でもね、あたしには、もっと、もぉっと、悲しいことがあるよ」
「……それはなんだ?」
「それはね、もうタクミとこうやってダベったり、遊んだりできないこと。それと……」
「……なんだよ」
「…………もうそろそろ最後がきちゃうから、ほんとの気持ちを隠すのはやめる!あたし、あたしね、ずっと、それこそ小学校の頃から………… タクミのこと、すきだったんだよ」
「えっ、ああ、そうか……」
「……そこ! ああ、そうか、じゃないでしょ!」
「いや、なんというか、なんて言えばいいかわからなくてな。すまない……」
「タクミは本当、昔から女の子の気持ちを理解するのがへたくそだね 」
「なんだ、さっきの仕返しか」
「そうだよ!! というか、あたしが本音を伝えたんだから、タクミも返事をしてよ!」
「ああ、そうだな…… その、なんというか、ハルにそう言ってもらえて、俺は今、素直に嬉しいと思ってる。 だからさ、まあ、俺もハルのこと……そう思ってるってことだな」
「……そう思ってるって、どう思ってるの?」
「……そこまで俺に言わせるのか」
「あたしはめっちゃ恥ずかしかったけど、ちゃんと言ったよ!だから、タクミもちゃんと言って!」
「わかった、わかったよ。さっきは照れ隠しでハルを異性として見てないって言ってしまったが、俺もハルのこと、結構前から好きだったんだ」
「…………ほんとに?」
「本当だ。……まさか、この告白も嘘ではないよな」
「…………自分の本当に気持ちに、嘘なんてつけないよ」
「そ、そうか……」
「あれっ、タクミ、顔すっごく赤くなってる~!」
「……それはお前だってそうだぞ」
「えっ!? うそっ! ……あっ、確かにほっぺが熱い」
「恥ずかしいのは、お互い様ってことだな」
「えへへ、うん、そうだね…… 」
「……今のハル、なんか女の子らしいというか、いじらしくて可愛かったな」
「なっ、えっ、ちょっ!……急にそんなこと言わないでよ!心の準備がまだできてないし!」
「ん? 思ったことを素直に言っただけだが、それもダメなのか。やっぱり女心はよくわからんな」
「もう…… 」
「それにしても、俺たちは両想いだったって、最後が来る前に知れたのは良かったんだろうか。それとも、もっと前から知っていたら……」
「それを言ってもしょうがないよ。あたし、今日で地球が終わるのを、朝に空を見上げて実感したからこそ、勇気をだしてタクミに気持ちを伝えられたと思うんだ」
「そうか、そうかもしれんな」
「……これが吊り橋効果ならぬ、隕石効果ってね!」
「使い方が若干違う気がするが…… まあいいか」
「それにしてもさ、あたしたちの卒業式とあたしの告白が終わるまでは落ちないでいてくれるなんて、隕石も粋なことするんだね~」
「これで軌道がそれて地球にぶつからないでくれれば、もっと粋だがな」
「……たしかに、そうだね」
「…………」
「ま、落ち込んでもしょうがないし、お菓子でも食べますか!」
「……ああ、そうだな」
「ええっと…… あたしのはこれ!」
「なんだ、うまい棒か。どうせならもっと高いお菓子でも買えばよかったのに」
「価値は値段だけでは決まらないし!あたしはうまい棒一筋18年ですから」
「はいはい。俺の分も袋から出してくれ」
「うん!はいこれ!って、栗ようかんか!やっぱ高校生なのに渋いチョイスで、いつ見てもウケるわ」
「食う菓子に年齢は関係ないだろ。俺はコンビニのレジ前に置いてある小さめの栗ようかんが昔から好きなのは知ってるだろ?」
「うん。知ってる。でもやっぱり面白い!」
「俺は最後の晩餐が栗ようかんでも全く問題ないな」
「あたしも、うまい棒で問題ないよ」
「あぁ…… 隕石、さっきより近づいてきてるな」
「……そうだね。道路もさっきから車が何台も事故るから燃えちゃってるし。周りのみんなキャーキャー叫んで怖がってるね」
「これぞ非日常って感じだな」
「…………もう、最後なんだね」
「……隕石が落ちる前に、俺は栗ようかんを食べるぞ」
「あ、あたしも!……もぐもぐ……やっぱりおいしい!」
「んぐ。やはりうまいな……」
「………ねぇ、」
「ん?なんだ」
「最後が来る前にさ、もう一回だけ、もう一回だけでいいから、すきって言ってくれないかな?」
「む…… 中々に恥ずかしい注文をするな」
「ダメ、かな?」
「いや、ダメじゃない。…………お、俺は、ハルが…………好きだ。」
「うん、うん、ありがとう…… あたしも、タクミがすき……」
「…………やはり恥ずかしいな。でも、ハルに好きと言うのも、言われるのも悪い気分じゃない」
「……タクミがそう言ってくれて、あたし嬉しいよ。 じゃあさ、最後にもう一個だけ、お願いできないかな」
「……何をだ?」
「その……さ、キス、とかできないかな?」
「んなっ!? それはかなりの難題だな……」
「でも、あたし、すきな人とキスができないまま最後を迎えるのは…………いや、だな」
「だが、俺はそんなのしたことないぞ……」
「あたしだって、したことないよ?」
「そ、そうか………… では、期待に添えないかもしれないが、やってみるか」
「う、うんっ……」
「……恥ずかしいから、目、閉じろ」
「うん」
「じゃあ、今からするからな」
「……うん」
「…………………」
「………………………………」
「…………これでいいか?」
「……うん。なんか今、すごい心臓がバクバクしてる」
「俺もだ」
「初めてのキスは甘酸っぱいレモン味ってよく言うけど、タクミのキスは栗ようかんの味だった」
「ハルのはうまい棒のめんたいこ味だったぞ」
「うわっ、それなんか恥ずかしいかも…… 甘いお菓子を食べておけばよかった」
「ふふ、まあ、めんたいこ味だって悪くなかったぞ」
「ほんとに? 」
「多分好きな人とのキスだったから、かな」
「んもう! なんかタクミ、さっきからだいぶ言うようになったじゃん」
「まあ、それも隕石効果のおかげ、かな」
「そっか………… あ、もう」
「かなり近いな。もう本当にこれが最後なんだな」
「……………………」
「ん? どうした?」
「あたし、あたしね……」
「うん」
「…………あたしっ! やっぱり、これで最後なんていや!!」
「…………」
「もっとタクミといろんな所にデートしたり、いろんなお話したり…… さっきみたいなキスだって、もっとしたかった!!」
「ハル…………」
「あたし、今、好きな人と心が通じ合う幸せを知っちゃったから、この幸せを失いたくなくなっちゃった…… さっきまでは、もう世界が終わっちゃってもいいかな、って思いかけていたのに…… なんでよ、なんでよ! 」
「…………………」
「なんで今日で世界は終わっちゃうの? なんで明日が来ないの? 終わるのは今日じゃなくたってよかったじゃん!もう少し、もう少しだけ先延ばしにしてくれてもよかったじゃん!」
「ハル」
「なんでよ!なんでっ……………… ひゃっ!」
「…………もうすぐ終わるこの世界を変えることは、俺にはできない。でも、世界が終わるその時まで、ハルの傍にいることなら俺にもできる」
「…………も、もうっ、急に抱きしめるなんてっ……! しかも、なんかキザったらしいことまで言ってたし!」
「う、うるさい! お前を落ち着けさせるためにやっただけだ!それにな、男っていうのはとにかくカッコつけたい生き物なんだよ!」
「……ふふっ。でも、そう言ってくれて、抱きしめてくれて、すっごく嬉しいよ。 …………あぁ~あ!さっきタクミが言ってた通り、もっと早くに告白してれば、こんな風にタクミに沢山抱きしめてもらうこともできたんだなぁ…… 」
「……俺は、今日が最後じゃなければハルを抱きしめることはおろか、ハルに触れることすらできなかったと思う」
「……そっか。隕石なんてだいっきらいだったけど、それ聞いてちょっと好きになったかも」
「なんだよ、それ」
「……すきな人に抱きしめられるのって、こんなにあったかくて、こんなにも幸せな気持ちになれるんだね」
「……そうだな、俺も同じだ」
「……最後が来るまで、あたしを離さないでね」
「ああ、わかってるよ」
「タクミ」
「なんだ?」
「今までありがとうね、さよなら」
「さよなら、はあまり好みじゃない。またね、がいいだろう」
「そっか、それもそうだね」
「ハル、また会おう」
「うん。またね」
「ああ」
「タクミ、もしもあたしたちが生まれ変わったらさ、そしたら、またあたしのこと、すきになっ
閉鎖病棟入院記⑫
8月21日(日)
前回の更新からかなり時間が経過してしまった。
その間、色んな事件や出来事、治療によって入院当初の頃からかなり変化した人や、退院する人に入院する人と、人の移り変わりも沢山あった。
今回は閉鎖病棟入院記⑨で紹介した太田さん
の驚くべき変化について書こう。
太田さんは極度の潔癖症で、自分ルールを他者に押し付けては他の患者に迷惑をかけていた30代の男性患者である。
太田さんは約3週間前、流行りのウイルスに感染し、2週間ほど隔離室に入れられていた。
太田さんが防護服を着た三人の看護師に、隔離室に移送されていくのを、20代の女性患者の植田さんは見たそうだ。
彼女も僕と同じく、大声で自分の要求を通そうとし、他者を傷付ける太田さんが苦手であった。
「隔離室って、狭い部屋にトイレとベッドしかなくて、手を洗える洗面台もないから用を足してもウエットティッシュで拭くしかないみたいだよ」
とこっそり僕に教えてくれた。
太田さんはかなりの潔癖症で、いつもお気に入りの洗面台で手を洗うのをよくみかけていた。
そんな太田さんが、手を洗えない環境で2週間も隔離されたら…… 本当の気狂いになってしまうのではないか、と嫌いな相手ながら少し心配になった。
「太田さんは大丈夫なんだろうか」
と僕が呟くと、
「ケンちゃんは誰が触ったかもわからないものを触るのを嫌がってたし、自分以外には誰もいない隔離室にいた方が案外幸せかもしれないよ」
と植田さんは話す。ケンちゃん、というのは植田さんが太田さんには内緒でつけたあだ名である。
植田さんは、嫌いな人や何を言っても仕様がない人を同じ人間だとは思わず、その人を野生動物か何かだと思い、距離を置くようにしているのだという。
そうすることで、何故この人は自分の言っていることを聞いてくれないのだろうか、何故この人とは分かり合えないのだろうか、といちいち悩まずに済むからだそうだ。話しても分かり合えないのは、相手が野生動物だからだ。人間の言葉が通じるわけがない。
そう思うことで苦手な人を受け流す、それが彼女なりの処世術なのかもしれない。
「津山くんも、そこら辺にいる野生化したアライグマやハクビシンと楽しく会話をしようだなんて思わないでしょ?」
と笑った。さらに、
「太田さんの下の名前は謙二。それで、いっつも手を洗っているからアライグマみたい、ということで、太田さんのことはアライグマのケンちゃんって呼んでるよ」
と植田さんは続けた。
そんな太田さん……いや、ケンちゃんは2週間後、どうなったかというと、まるで別人のように変わっていた。
まず、大きな声で看護師に文句を言わなくなった。隔離が解除になってから、僕は太田さんの声を一度も聞いたことがない。
相変わらず潔癖症はあるのか、自分の部屋から出るのを極力避けているが、あんなに嫌がっていた入浴も素直に入るようになっていた。
以前は公衆電話で親に「ここから早く退院させてくれ」と全身全霊で叫ぶように訴えていたが、太田さんが電話してるのをこのところ見ていないし、看護師やソーシャルワーカーを捕まえては自分の要求ばかりを伝えるということもしなくなった。
植田さんも僕も、「あの太田さんが」とかなり驚いている。これでは牙の抜かれた猛獣、いや、牙の抜かれたアライグマといったところか。
閉鎖病棟入院記⑪
7月17日(日)
万物流転。この世にある全てのものは絶え間なく変化していく運命にある、という言葉だ。
全世界に共通するこの法則は、もちろん閉鎖病棟内にも適用される。
食堂の大きな窓から見えていた紫陽花はすっかり枯れてしまった。 旬が過ぎたのだ。梅雨が終わってこれから夏になる、たしかな予感を胸に抱いた。
花も季節も、そのままに留めておくことはできない。そしてそれは人にも言える。
先々週ぐらいから、川野さんという患者が入院していた。 どうやら彼女は高校3年生で、大学受験を間近に控えているらしい。 主治医がそれに配慮したからか、彼女は今日、入院してまだ1ヶ月も経たないうちに開放病棟へと移動していった。
今日の午後。 僕は談話コーナーで新聞を読んでいると、看護師に連れられた川野さんが植田さんに見送られて閉鎖病棟から出ていこうとしているのを見た。
そういえば、川野さんは植田さんと2人並んで病棟内の廊下を散歩しているのをよく見かけた。 川野さんは細い縁の丸眼鏡をかけた温厚そうな子で、植田さんとは歳が近いということもあり、気が合うみたいだった。
「真穂ちゃん、またね」
と手を振る植田さんは目を潤ませていた。真穂というのは川野さんの下の名前だろう。
「ちょっと! 私まで泣きそうになるからやめてよー」
川野さんは笑いながら植田さんの肩を叩いた。
「うー、ごめんごめん。また作業療法の時間に会えるだろうし、私も開放の方に移れればまた一緒にいられるよね」
植田さんは泣き笑いをして謝る。
「そうそう、だからそんなに泣かないの! 」
川野さんは涙を流す植田さんを優しく宥めるような口調で言った。
何だか2人が仲の良い姉妹のようにも思えてくる。泣きじゃくる妹をあやす姉。 姉はもちろん川野さんだ。歳上なのは植田さんの方なのだが。
結局植田さんが泣き止むことはなく、川野さんは開放病棟へと移動していった。
泣いている植田さんが放っておけなかったので、僕はおずおずと話しかけた。
「植田さん、大丈夫ですか」
「う、うん、だいじょうぶ」
ひどい鼻声だった。 とりあえず持っていたポケットティッシュを渡し、談話コーナーの椅子に一緒に座った。
「川野さんと仲良かったんですね」
「そうだね、だっだ2週間しが一緒にいれながったんだげどね」
植田さんは勢いよく鼻をかんだ。
「一緒にいたのは短かったけど、本当に色んなことを話せたよ。 学校のことや、友達のこと、病気のことや進路のこととか」
「よく2週間でそこまで仲良くなれましたね」
僕は素直に驚いていた。 こんな短期間でも人はここまで親しくなれるのかと。
「なんか、真穂ちゃんと話してると、他人って気がしなかったんだよね。 境遇とか考え方が似てたから」
「なるほど、そうだったんですね」
「今思うと、真穂ちゃんに昔の自分を勝手に投影してたのかも」
植田さんはまだ目が潤んでいたが、もう涙を流すことはなかった。もう一度、小さく鼻をかんだ。
「真穂ちゃん、その高校のバスケ部に入りたかったから、自分のレベルより少し低いけどそこに通っていたみたい。 それで成績も学年1位になれたみたいだけど、そのせいで周りの子達と上手く馴染めない時があったんだって」
「ああ、そういうことってありますよね。 僕も似たようなことがありました」
集団の中でひときわ秀でた存在になると、時に孤立してしまうこともある。 出る杭は打たれる、とでもいうのか。優秀な人の周りにいる人々は、この人は平凡で均質な私たちとは違う、調和を乱しかねない危険人物だとレッテルを貼り、距離を置こうとするのだ。
僕の場合は部活だった。中学の吹奏楽部で、1年生の時に同期で1人だけ夏のコンクールの舞台に乗せてもらえたのだ。僕の楽器はユーフォニウムだった。
ユーフォニウムの担当が部内には先輩と僕の2人しかいなかったかったことや、小学生の頃から吹いていたこともあって技術的にも問題ないと判断されたから、1年でも大会の編成に入れてもらえた。
コンクール曲を練習するとき、他の1年生は教室で基礎練をしていた。 単純に一緒に過ごす時間が少なかったということもあるのだろうが、僕は同期の中で浮いた存在となった。
「うんうん、津山くんも分かってくれる側の人なんだね。 実は私もね、真穂ちゃんみたいに自分の偏差値より低い高校で学年1位になっちゃって浮いていたからさ、何だか他人のように思えなくって」
「そうでしたか」
「それで波長が合うというか、1度話し始めると時間を忘れちゃうくらい長いこと話せちゃったんだ。 だから一緒にいたのは短い期間なはずなのに、そんな気がしなくって」
それで植田さんと川野さんは短期間でこれほどまでの絆を深めることが出来たのか。 似たもの同士、似てるからこそ相手がどんな考え方をして、物事をどのように捉えるのかが話している中でよく分かり合えたのだろう。
「それだから今日は真穂ちゃんが開放に移動しちゃうってなって、大人気なく泣いちゃったわけ。 津山くんには迷惑かけちゃったね 」
植田さんは申し訳なさそうな様子ではにかんだ。
「いえ、全然大丈夫ですよ」
実際、特に迷惑はかかってなかった。 持っていたティッシュを多めに消費されてしまったぐらいか。
「この借りはいつか返すからね! それじゃ! 」
そういって植田さんは勢いよく立ち上がり、病室の方へと去っていった。
僕も帰ろうと思い、椅子から立ち上がりふと気がついた。
そういえば、ポケットティッシュを返してもらってない。
それでも、まあいいかと思えた。 植田さんと川野さんの深い友情と比べれば、ティッシュなんて大したものじゃない。
互いを思い合う2人の絆はあまりにも尊く、僕には絶対に手の届かない、素晴らしいもののように思える。彼女らに羨望を感じながらも、僕も談話コーナーを後にした。