嘘八百日記

このブログ記事は全てフィクションです。

この前自殺未遂した話(閉鎖病棟入院記⑥)

7月4日(月)

閉鎖病棟に入院してから10日程経った。 

そろそろ心の整理も出来たので、僕がどういった経緯で入院することになったのかを書いていこうと思う。

 

自殺を図る数日前から、朝目が覚めても起き上がれず、寝たきり状態になっていた。思考力や判断力が鈍り、本当は就活や研究をしなければならないのに、何も手につかなかった。

携帯を見るのがあまりに億劫で、父親からの就活はどうだ、や、研究は上手くいってるのか、というような、こちらの状況を確認するような連絡もしばらく無視してしまっていた。 

僕にとって、父親はとにかく苦手な人物だった。 性格というか、気質というか、何かが決定的に噛み合わないのだ。

 

そして当日。 流石に数日間も連絡を無視しているのはまずいと思った。気が重かったが、LINEを起動して父親からのメッセージを見た。 

『自分でどうしたらいいか分からないなら、人の話を聞けよ。お前は自尊心が高すぎるんだよ。』

『いいかげん、その高いプライドをすてて、自分がクズだということを自覚して下さい。それをうけいれない限りあなたは今のままです。』

『プライドがあるから人の話を聞けないんです。』

このようなメッセージが連投されていた。 

これを見て、僕は頭が真っ白になった。 怒りとも悲しみともつかない感情が込み上げてきた。

自分がクズであるという自覚はもちろんあった。 大事な時期に就活も研究もせず、寝たきりになっているのはどう考えても良くないだろう。 

この時、やるべき事もせず、ただ寝ているだけのクズな僕は、もうここで死ななければならないと確信した。

自分がクズである自覚はあること、就活や研究をちゃんとこなしたいが、体調が悪くて出来なかったこと、クズで親に迷惑をかける自分はもう死んだ方がいいと思うので死にます、という旨を返信で書いた。 かなり感情的になっていた。

その後、父親からはすぐに返信が来た。

『いや、クズだと認識できているならば、人を偉そうに無視しないで下さい。』

 

それから、ちょうど良い長さのベルトを用意し、ユニットバスのドアノブに掛けた。 ドアの目の前は台所だったので、ゴミ箱を退かして座りこめるスペースをつくった。

準備という準備は特になかった。 僕はベルトに首を通し、そのまま首に体重を掛けていった。

しばらくすると、頭がふわふわした。頸動脈が締まって脳が酸欠になってきたのだろう。 何だか気持ちが良かった。

それからはあまりよく覚えていない。 数時間経ったようにも思えるし、数分しか経っていないようにも思える。 所々意識が飛んでいた。

突然、窓の外から「津島さん!津島さん!」と呼ぶ声が聞こえてきた。 でも、僕の苗字は津島でなく津山だ。 

名前違いますよ、と言おうとしたのだが、何故か上手く言えなかった。 頭の中では言いたい言葉は浮かんでいたのだが、発音が出来なかった。

外から「窓、空いてる!」と声が聞こえる。 そういえばベランダの窓の鍵をかけ忘れていたな、と他人事のように思い出す。

ベランダの窓が勢いよく開けられ、外から3、4人の救急隊員が入ってきた。 

どうやら、僕のメッセージを見た父が通報したらしい。

津島さん、大丈夫ですか? これ外しますよ、と声をかけられ、僕の首からベルトを外された。 

それから椅子に座らされ、血圧を測ったり、首の索条痕を見られたりした。 

何故か警察も来ていて、どういう目的かは分からないが、僕の全身写真を撮っていた。

色んな人が僕の部屋に入ってきては、僕に色んな質問をしてきた。 この時まだ意識がふわふわしていたので、あまりよく覚えてない。

冷静さを欠いてLINEで死ぬと書いてしまったのがいけなかったな、とか、首吊る前に沢山薬飲んでおけばもっと早く意識を失って死ねたのにな、とか考えていた。

救急隊員達が何やら相談していたが、いつの間にか、僕が救急搬送されることになったようだ。 

僕は手際よく担架に乗せられ、そのまま救急車に運ばれた。

救急車に搬送されるのはこれが2度目だった。 1度目は熱中症が理由だった。

病院に着くまでは体感で15分ほどだった。僕は近くの大学病院の救急センターに運び込まれた。

運ばれて早々、救急看護師のリーダーと思わしき銀縁メガネの男性が、

「あらあら、ひどくやっちゃってるわね」

と、僕の首の痕を見て言った。

彼は、オネエだった。

「これから、あんたの体を色々調べさせてもらうわよ。 ここに来たからには、あんたをそう易々と死なせる訳にはいかないわけ。 いい? 」

僕は掠れた声ではい、と返事をした。

そんな僕をみて彼は、「よし、いい子ね」と強く頷いた。

それから数人の看護師たちが腕や胸に色々な器具を繋げ、それが終わったら今度はMRI検査をし、その後鼻にカメラを入れられて喉の奥を見られた。

整形外科医が来て、僕の首の骨を順番に押していって、精神科医が「どうして自殺なんかしたんですか」と質問してきた。

ついでにコロナの検査もした。陰性だった。

オネエの看護師の言った通り、僕の体のありとあらゆる場所を調べられた。 

検査の最中、オネエの看護師は安心させようとするためか、僕に話しかけてくれた。

「あんたが死にたいって思うほどに追い詰められた理由は分からないけど、あんたがすごく辛かったってことは分かるのよ」

彼は僕の体に繋がっている機器のモニターを見ながら、言葉をゆっくり噛み締めるようにして言った。

「だから今はとにかく、何も考えず、私たちに全て任せなさい」

「……ありがとうございます 」

僕はまだ上手く喋れなかったが、何とかお礼は言えた。

「でも本当に、よく生きていてくれた。 生きてここまで来てくれてありがとうね 」

僕はその言葉に、何故だか急に泣き出したくなった。涙が出るのを堪えるのに必死で、すぐに返事が出来なかった。

「もう、めそめそしないの! ほら! 」

そう言って、彼はティッシュで涙を拭ってくれた。

 

全ての検査の結果が出た。 幸運なことに、首に怪我をしたこと以外は無傷で済んだ。 

その後、父親が僕の搬送された病院まで来たので、オネエの看護師と僕と父親の三者面談が行われた。

オネエの看護師は、オネエ言葉ではなく、普通の敬語を使い、僕の体と心の状態について父に丁寧に説明をした。 父は1度も僕の方を見ず、彼の話にただ黙って頷いていた。

そして僕は、普段から通院している精神病院に入院することとなった。

オネエの看護師が、その精神病院に紹介状を書いてくれた。

そのまま僕は精神病院に連れていかれ、医療保護入院となった。医療保護入院は任意入院とは異なり、医者の指示によって患者を入院させる、強制力のある入院手段だ。

医療保護入院だと、基本的に3ヶ月は入院生活を過ごすことになるようだ。 

入院してまだ10日。 退院はまだまだ先の話である。 そろそろ外が恋しいけど、外に出たらまた自殺しようとするかもしれない。