嘘八百日記

このブログ記事は全てフィクションです。

野良猫に付いて行ったら不思議な喫茶店に着いた話

その日は暖かくて穏やかな小春日和であったので、散歩に出かけることにした。

近所にある公園にでも行こうかと思い、住宅街の道を歩いていると、1匹の猫が道路に寝そべっていた。

私は猫が好きだ。顔と耳が絶妙なバランスで存在し、そこには可愛いという感情以外は出てこなくなるし、愛玩動物として人間に媚びることもなく、勝手気ままに暮らしているその姿も大変好感が持てる。

猫好きの私は立ち止まり、野良猫の傍にゆっくりと近づいていった。

猫は私の姿に気づいたのか、ゆったりと体を起こして私の方を向いて短く「ミャ」と鳴いた。

か、可愛い……!そう思った私は顎の下を優しく撫でてやった。

猫は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。

私は外出した目的も忘れ、しばらく猫と戯れていたが、ある時猫がスっと立ち上がり、こちらを1度振り向いてから歩き出した。

付いてこい、ということだろうか。私はピンと立った尻尾の付いたお尻を追いかけ始めた。

かなりの距離を歩いたと思う。色んな角を曲がり、見たことも無い道を歩き、気がつくと知らない場所に着いていた。

そこも住宅街のようだったが、人通りは全く無い。猫がまた振り向き、ここが目的地だと言わんばかりに1つの建物を見つめていた。

それは小さな日本家屋であった。周りは現代的な住宅が多い中でここだけが歴史を感じる建物だ。何だか目立っている。

入り口横には『coffee』と書かれたブラックボードがあり、ここが喫茶店なのだということが分かる。

猫の頭を撫でながら「ありがとね」と言うと、猫は役目は果たしたといった様子でどこかへ行ってしまった。

せっかくだから入ってみようか。私は扉を開けてその喫茶店に足を踏み入れた。

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中は改装しているのか、内装は新しい。暖色電球が照らす店内にはどこか温かみがある。客は私以外にはおらず、バックグラウンドに流れているクラシック音楽以外には静かであった。

「いらっしゃいませ」

カウンターには女性店員が立っていた。年齢は30代であろうか。背中まで伸びた黒髪を後ろで1つに結び、化粧っ気はあまりないが顔立ちは整っており、どこか洗練された雰囲気を纏った不思議な魅力のある女性であった。

私は普段、人と話すのがそこまで好きではないが、客は私1人だけだし、店員と話しやすいカウンター席に座ることにした。

「ご注文決まりましたらお声掛けください」

彼女はそういうとメニュー表を渡してくれた。

私は1番上にあった本日のコーヒーを頼んだ。

貰ったお冷を飲みながらぼうっとしていると、彼女がコーヒーを淹れ始めた。芳しい香りが広がり始める。

どうやらサイフォンを使うらしい。下のフラスコから沸騰したお湯がロートに入ってくると、彼女は竹べらで手早くコーヒー粉とお湯とを攪拌した。ロートの中は泡とコーヒー粉と液体の3層が綺麗に分かれた。

「上手ですね」
彼女の鮮やかな手捌きを眺めながら、そう言った。

「ありがとうございます。よくお客様に褒めていただけるんですよ」

彼女は少し嬉しそうな表情をしていた。

残りの工程を終え、コーヒーを出してくれた。

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カップからは芳醇な香りが漂ってくる。一口飲んでみた。程よい苦味と香ばしさが口いっぱいに広がる。奥深い味わいだ。
コクのある飲みごたえで、酸味はほとんど感じない。私好みの深煎りのコーヒーであった。

すると、ここで不思議なことが起こる。私の意識が遠のいていき、視界がブラックアウトした。

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気がつくと私は、喫茶店ではなく別の場所にいた。

吹く風が涼しい。周りを見渡すと3m程の木々が規則正しく並んでいる。遠くを見ると雲のかかった山が一望できる。ここもかなり標高の高い場所なのだろう。

この風景、随分前に何かの雑誌で見た覚えがある。ここは恐らくコーヒー農園だ。

足元で「ニャ」と声がした。見るとそこには先程喫茶店まで私を連れてきた猫がいた。

「君も来たんだね」

「ニャオウ」

猫はそう鳴くと私の方を見てから、どこかに向かって歩き出した。また案内してくれるのだろうか。

再び私は猫に付いていった。

農園で育つコーヒーの木には小さくて赤い実が沢山なっていた。収穫の時期が近いのだろう。

しばらく歩いていくと、開けた場所に出た。そこではコンクリートで覆われた地面に、収穫されたコーヒーの実を薄く均一に並べられていた。ここでコーヒーの実を天日乾燥させてるのだろうか。

猫が地面に広げられたコーヒーの実をつまみ食いしている。そのまま食べても美味しいのか?

そんな猫の様子を眺めていると、視界がぐにゃりと歪んできた。

そうして、私はさっきの喫茶店に戻っていた。

「お客様、どうかなされましたか」

女性店員が私の顔を心配そうに覗き込んでいる。

「あ、いえ、私にも何が何だか分からないのですが……」

先程、私の身に起こったことを彼女に伝えると、彼女は納得のいった様子で頷いていた。

「もしかすると、お客様はコーヒーの『記憶』を覗いたのかもしれませんね」

彼女は穏やかな笑みを湛えながらそう言った。

「この喫茶店ではたまにあるんですよ。コーヒーもかつては地面に根をはり、太陽の光を浴びて育った生物です。ですので、コーヒーが育つ過程で感じた景色や風の音、気候などが人間で言うところの『記憶』のように豆に残っていたのかも知れませんね」

彼女が語ったのは、何とも不思議な話であった。植物にも記憶が残るなんてにわかに信じ難い話であったが、現に私は先程コーヒー農園を見たし、涼やかな風もこの身で受けた。彼女の言う通り、コーヒーに宿る『記憶』を垣間見たのかもしれない。

「コーヒー、凄く美味しかったです」

「はい、ありがとうございます」

彼女はにこやかに微笑んだ。