先日、私は大学の友人(以後Mとする) と、あるキャラクターをテーマにしたカフェに行った。
そのキャラクターというのは、近頃有名になった『獄門パンデミック(略して獄パン)』だ。皆さんもこのキャラのイラストは何処かで見た事があるだろう。
刎ねられたパンダの首が台に乗っているという奇抜なデザインや、何故か文語体で喋るという一風変わったキャラクター性が多くの人の心を掴み、あの有名な『ふわふわ流刑地ちゃん』や『シチューひきまわし』などと肩を並べるほどの国民的キャラクターとなったのだった。
そんな獄パンは私の友人Mのお気に入りらしく、「今度獄パンのカフェ行こう!」と彼女に誘われたのだった。正直、獄パンはそこまで好きではなかったのだが、せっかくの友人の誘いだということで了承した。
新宿の南口から徒歩5分程の距離に、獄パンカフェはあった。私とMは駅で待ち合わせをしてから、獄パンカフェのあるデパートへ向かった。
「獄パン、めっちゃいいんだよ〜」
Mは道すがら、獄パンの魅力について語っていた。どうやら彼女は獄パンのファンクラブである『試し斬りクラブ』の会員らしい。
「私、なんで獄パンがそこまで人気になったのかが不思議なんだよね…… だって、デザインはなんか怖いし、喋り方も可愛くないし」
私は昨今の獄パン人気に疑問を呈したのだが、Mは「獄パンカフェに行ったらあんたも絶対好きになるよ!ウチもそうだったし!」と断言した。
獄パンカフェに着くと、その雰囲気に私は圧倒された。店の中は獄パンのイメージカラーである紫色に統一されていて、至る所に獄パンのぬいぐるみが飾られている。何処を見ても獄パンの姿が必ず目に入るようになっていた。
各席を仕切るパーテーションは首を晒す獄門台を意識したデザインになっている。獄パンの世界観が丁寧に再現されているのが見事であった。
それから、私とMは席について注文した。私は獄パンの生き血をイメージしたパフェで、Mは獄パンの顔を模したパンケーキを頼んだ。
平日の昼間ということもあり、店内は空いていた。私たちの他には2組ほどの客が訪れていた。
頼んだ物が来るまで、私は少し離れた席にいた客を何となく眺めていた。
彼らは男女のカップルらしく、彼女の方が獄パンのファンで彼氏はあまり知らないといった様子であった。
彼女は熱心に獄パンの布教をしているのだが、彼氏は気のない返事でそれを流し、スマホをいじるばかりであった。
だが、そんな彼の様子は料理を食べ始めてから一変した。
先程まで獄パンに関心がない様子だった彼氏が、獄パンのパンケーキを食べ始めて暫く経つと、彼女同様に獄パンの魅力を熱心に語るようになっていたのだ。
これにはかなり驚いてしまった。やはり獄パンの世界観が表現されたカフェで獄パンのメニューを食べれば感化されるのだろうか。しかし、それにしても不自然なまでの変貌だ。彼氏の振る舞いは先程とは全く異なって見える。
まさか。料理に仕掛けがあるのか?
そう考えた私は、頼んだ物が来てもなかなか口を付けられずにいた。
「どうしたん?具合でも悪いの?」
Mは心配げに私の顔を覗き込む。
「いや、ちょっとね……」
私はMに先程あったことを説明し、この料理に恐怖心を抱いていることを伝えた。
すると、優しいMが突如として変貌した。
「は?何言ってんの? ごちゃごちゃ言ってねーで 早く食べろよッ!!」
Mは声を荒げ、パフェを掬ったスプーンを私に押し付けて食べるよう促す。Mは普段、こんな風に怒鳴るような人ではないのに。
私はMの急激な変化に恐れをなし、思わず後ずさる。
「ちょ、ちょっとM、どうしたの? 」
私は助けを求めるように周りを見たのだが、すぐ側で待機している店員や他の客はまるでこちらが見えていないような感じで無視をされた。それがかなり不気味だった。
「獄パンはすっごく可愛いの!!銀河で1番だわ〜!」
「獄パンは形而上的存在なのだ!我々凡庸たる民にはその尊き存在を全て知覚することは出来ないッ!」
「獄パンは最高!!獄パンの良さが分からない人間に生きる価値などない!!」
他の客たちは獄パンを大声で褒めたたえる。その顔は狂信者のそれだ。血走った目をギョロギョロとさせ、獄パンを讃える言葉ばかりを口にする。正気の沙汰じゃない。
ここにいたらダメだ。この狂気に呑まれてしまう。
私はお金を置いて急いで席を立った。
「待てッ!どこにも行かせないッ!」
Mは瞳孔の開いた目で私を睨みつけ、手首を掴んできた。凄く痛い。
「ごめん、M!!」
私はてこの原理を利用し、手首の位置を作用点にして思いっきりMの右腕をはたき、Mの手から逃れた。護身術を身につけていて良かった。
そうして私は震えながら店を後にした。
その後、私は警察に通報し、事の顛末を詳細に説明した。
獄パンカフェには警察の捜査が介入し、この店の実態が明らかとなった。
どうやら、店のメニューには精神を昂揚させるようなある種の薬物が混入されていたようだ。その薬物はMDMAのように、摂取すると多幸感や他者への親近感を抱かせる作用があるらしい。
それを摂取した客が、店の中のどこにでもある獄パンのぬいぐるみを見ると、獄パンに盲目的な愛情を注ぐようになるという。獄パンと多幸感を脳内で無意識に結びつけるのだ。
薬が切れると、再びあの多幸感を得るために客は獄パンに関するコンテンツを繰り返し見るようになる。このような形で獄パンのファンとなった者は獄パンのファン全体の約4割とかなり多いようだ。獄パンカフェが全国各地で営業していたことがそのような結果となった原因だろう。
その後、獄パンを制作して商品の企画・運営を行っていた会社は倒産し、獄パンを見ることは少なくなった。Mは他のファン同様、警察病院に入院させられ、治療を受けたことで獄パンへの執着から解放された。
「ほんと、なんであんなキャラが好きだったんだろうな〜 打首になったパンダなんて全然可愛いと思えないわ〜」
Mは過去の自分を振り返って不思議そうにしていた。
「そういうのってあるよね、後になってからそこまでそのジャンルにハマってたのは何でなのか分からなくなること」
私は微笑みながらMを見る。
「ホントそれな〜! てかさ、今はそれより『うさゲバルト』でしょ〜!」
「……へ?」
「え!知らないの〜? めっちゃ可愛いから! ウチ、前にコラボカフェ行ったら何故かハマっちゃってさ!!」
そう言ってMは、ヘルメットを被って角材を持つウサギのイラストをスマホに表示した。なにが可愛いのか私には分からなかった。
「…………雨後の筍かよ!!」
私は呆れ返ってしまった。
※この記事はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。