嘘八百日記

このブログ記事は全てフィクションです。

閉鎖病棟入院記③

6月30日(木)

6:30に起床。 顔を洗い、朝食を済ませると僕は決まってすることがある。

それは、談話コーナーに置いてある朝刊を読むことだ。 

いい意味でも悪い意味でも刺激がなく、穏やかに時が過ぎ去っていく——この閉鎖病棟の中にいると、外には無数の人がいて、その人たちにより、今でも普段通りの社会生活が営まれているという、ごくごく当たり前のことを実感しにくくなる。

実はもう、外には人間なんて1人もいなくて、活動している生物は病棟の窓から見える、空を飛ぶ鳥や羽虫ぐらいしかいないのではないか、とさえ思ってしまうのだ。

新聞を読むことで、閉鎖病棟の外には物価高で苦しむ国民や、原油高に喘ぐ中小企業、選挙活動に必死な政治家に、熱中症で死ぬ高齢者たちが、確かに存在しているのだと知覚できる。

新聞は、閉鎖病棟に閉じ込められた僕と社会とを間接的に繋げている、 いわば覗き穴みたいなもので、外からは僕らの様子は分からないが、僕らからは文字媒体を通してだが、社会の実情を覗き見ることが出来る。 

今は、新聞やニュースを見る習慣のなかった入院前よりも社会情勢に詳しくなっていると思う。 閉じ込められてから初めて、社会に関心を持つようになったというのは、何だか皮肉な話ではあるが。

 

今日もいつものように談話コーナーで新聞を読んでいると、僕の向かいの席に70代の女性患者が座った。

彼女は笹さんといい、高齢の患者の中でも矍鑠(かくしゃく)としていて、ご飯も高齢者用の柔らかいご飯ではなく常食を食べるし、歩く時には手摺につかまらない。

だが、精神面ではあまり状態が良くないのか、1人で何かをずっと喋っていることが多い。

今日も笹さんは、朝刊から抜き取られて置いてあるテレビ欄のページを虚ろな目で眺めながら、何かを喋り始めた。

「それでさ……わたしが電車のると、ね、いつもあの女の人が嫌な顔してさ…… 周りのみんなもわたしのこと……くさいっていって離れてくの…… わたしの周りだけ、だあれも座らなくって…… だからわたしやだなって…… 」

目の前にいる僕に話しかけていないことは、彼女の目を見れば明らかだった。 どこか遠くを見るようなぼんやりとした目は、虹彩が白目に滲むようだった。

笹さんの独り言は段々とヒートアップしていく。

「……だから、あの女の人はいつもわたしのこと悪く言ってくるの! 近所のひともみんな!なんで?  わかんない!もうどうすればいいかわかんない! 」

わかんない、わかんない、と子供のように繰り返す笹さんはそのまま頭を抱え、机に突っ伏してしまった。 

笹さんが新聞を通して覗き見たのは、彼女が経験した過去の出来事なのか、それとも病のもたらす被害妄想なのか。 答えは彼女自身にも分からないのかもしれない。