嘘八百日記

このブログ記事は全てフィクションです。

この前自殺未遂した話(閉鎖病棟入院記⑥)

7月4日(月)

閉鎖病棟に入院してから10日程経った。 

そろそろ心の整理も出来たので、僕がどういった経緯で入院することになったのかを書いていこうと思う。

 

自殺を図る数日前から、朝目が覚めても起き上がれず、寝たきり状態になっていた。思考力や判断力が鈍り、本当は就活や研究をしなければならないのに、何も手につかなかった。

携帯を見るのがあまりに億劫で、父親からの就活はどうだ、や、研究は上手くいってるのか、というような、こちらの状況を確認するような連絡もしばらく無視してしまっていた。 

僕にとって、父親はとにかく苦手な人物だった。 性格というか、気質というか、何かが決定的に噛み合わないのだ。

 

そして当日。 流石に数日間も連絡を無視しているのはまずいと思った。気が重かったが、LINEを起動して父親からのメッセージを見た。 

『自分でどうしたらいいか分からないなら、人の話を聞けよ。お前は自尊心が高すぎるんだよ。』

『いいかげん、その高いプライドをすてて、自分がクズだということを自覚して下さい。それをうけいれない限りあなたは今のままです。』

『プライドがあるから人の話を聞けないんです。』

このようなメッセージが連投されていた。 

これを見て、僕は頭が真っ白になった。 怒りとも悲しみともつかない感情が込み上げてきた。

自分がクズであるという自覚はもちろんあった。 大事な時期に就活も研究もせず、寝たきりになっているのはどう考えても良くないだろう。 

この時、やるべき事もせず、ただ寝ているだけのクズな僕は、もうここで死ななければならないと確信した。

自分がクズである自覚はあること、就活や研究をちゃんとこなしたいが、体調が悪くて出来なかったこと、クズで親に迷惑をかける自分はもう死んだ方がいいと思うので死にます、という旨を返信で書いた。 かなり感情的になっていた。

その後、父親からはすぐに返信が来た。

『いや、クズだと認識できているならば、人を偉そうに無視しないで下さい。』

 

それから、ちょうど良い長さのベルトを用意し、ユニットバスのドアノブに掛けた。 ドアの目の前は台所だったので、ゴミ箱を退かして座りこめるスペースをつくった。

準備という準備は特になかった。 僕はベルトに首を通し、そのまま首に体重を掛けていった。

しばらくすると、頭がふわふわした。頸動脈が締まって脳が酸欠になってきたのだろう。 何だか気持ちが良かった。

それからはあまりよく覚えていない。 数時間経ったようにも思えるし、数分しか経っていないようにも思える。 所々意識が飛んでいた。

突然、窓の外から「津島さん!津島さん!」と呼ぶ声が聞こえてきた。 でも、僕の苗字は津島でなく津山だ。 

名前違いますよ、と言おうとしたのだが、何故か上手く言えなかった。 頭の中では言いたい言葉は浮かんでいたのだが、発音が出来なかった。

外から「窓、空いてる!」と声が聞こえる。 そういえばベランダの窓の鍵をかけ忘れていたな、と他人事のように思い出す。

ベランダの窓が勢いよく開けられ、外から3、4人の救急隊員が入ってきた。 

どうやら、僕のメッセージを見た父が通報したらしい。

津島さん、大丈夫ですか? これ外しますよ、と声をかけられ、僕の首からベルトを外された。 

それから椅子に座らされ、血圧を測ったり、首の索条痕を見られたりした。 

何故か警察も来ていて、どういう目的かは分からないが、僕の全身写真を撮っていた。

色んな人が僕の部屋に入ってきては、僕に色んな質問をしてきた。 この時まだ意識がふわふわしていたので、あまりよく覚えてない。

冷静さを欠いてLINEで死ぬと書いてしまったのがいけなかったな、とか、首吊る前に沢山薬飲んでおけばもっと早く意識を失って死ねたのにな、とか考えていた。

救急隊員達が何やら相談していたが、いつの間にか、僕が救急搬送されることになったようだ。 

僕は手際よく担架に乗せられ、そのまま救急車に運ばれた。

救急車に搬送されるのはこれが2度目だった。 1度目は熱中症が理由だった。

病院に着くまでは体感で15分ほどだった。僕は近くの大学病院の救急センターに運び込まれた。

運ばれて早々、救急看護師のリーダーと思わしき銀縁メガネの男性が、

「あらあら、ひどくやっちゃってるわね」

と、僕の首の痕を見て言った。

彼は、オネエだった。

「これから、あんたの体を色々調べさせてもらうわよ。 ここに来たからには、あんたをそう易々と死なせる訳にはいかないわけ。 いい? 」

僕は掠れた声ではい、と返事をした。

そんな僕をみて彼は、「よし、いい子ね」と強く頷いた。

それから数人の看護師たちが腕や胸に色々な器具を繋げ、それが終わったら今度はMRI検査をし、その後鼻にカメラを入れられて喉の奥を見られた。

整形外科医が来て、僕の首の骨を順番に押していって、精神科医が「どうして自殺なんかしたんですか」と質問してきた。

ついでにコロナの検査もした。陰性だった。

オネエの看護師の言った通り、僕の体のありとあらゆる場所を調べられた。 

検査の最中、オネエの看護師は安心させようとするためか、僕に話しかけてくれた。

「あんたが死にたいって思うほどに追い詰められた理由は分からないけど、あんたがすごく辛かったってことは分かるのよ」

彼は僕の体に繋がっている機器のモニターを見ながら、言葉をゆっくり噛み締めるようにして言った。

「だから今はとにかく、何も考えず、私たちに全て任せなさい」

「……ありがとうございます 」

僕はまだ上手く喋れなかったが、何とかお礼は言えた。

「でも本当に、よく生きていてくれた。 生きてここまで来てくれてありがとうね 」

僕はその言葉に、何故だか急に泣き出したくなった。涙が出るのを堪えるのに必死で、すぐに返事が出来なかった。

「もう、めそめそしないの! ほら! 」

そう言って、彼はティッシュで涙を拭ってくれた。

 

全ての検査の結果が出た。 幸運なことに、首に怪我をしたこと以外は無傷で済んだ。 

その後、父親が僕の搬送された病院まで来たので、オネエの看護師と僕と父親の三者面談が行われた。

オネエの看護師は、オネエ言葉ではなく、普通の敬語を使い、僕の体と心の状態について父に丁寧に説明をした。 父は1度も僕の方を見ず、彼の話にただ黙って頷いていた。

そして僕は、普段から通院している精神病院に入院することとなった。

オネエの看護師が、その精神病院に紹介状を書いてくれた。

そのまま僕は精神病院に連れていかれ、医療保護入院となった。医療保護入院は任意入院とは異なり、医者の指示によって患者を入院させる、強制力のある入院手段だ。

医療保護入院だと、基本的に3ヶ月は入院生活を過ごすことになるようだ。 

入院してまだ10日。 退院はまだまだ先の話である。 そろそろ外が恋しいけど、外に出たらまた自殺しようとするかもしれない。 

 

閉鎖病棟入院記⑤

7月2日(土)

今日の朝。 50代男性患者の柴田さんはまた、看護師に叱られていた。

彼は食事中に汁椀の蓋をベロベロ舐め回したり、お茶をコップから食べ終わった茶碗に移し、汚い音を立てて飲んだりして毎度のように看護師に怒られているので、患者の中でもかなり目立っていた。

今朝はどうやら女子トイレに入り、置いてあるトイレットペーパーを全て盗んでいったようだ。 

これは初犯ではなく、複数回行っているということは、叱っている看護師の「何回も言ってるのに、なんで言うこと聞いてくれないの」という言葉から分かった。

柴田さんは看護師の説教の合間合間に頷きながら「はい」と返事し、「ごめんなさい」と申し訳なさそうに謝罪するのだが、それでも同じことを繰り返すので、恐らく反省はしていないのだろう。

何故女子トイレに入るという危険まで冒してトイレットペーパーを欲するのか。 僕は個人的に興味を持ったので、柴田さんに話しかけることにした。

共用の洗面所で口を濯ぐ柴田さんの隣で、僕も歯磨きをした。 僕が歯を磨いている途中、柴田さんは鼻がくっついてしまいそうな程に鏡を間近に見つめ、息まじりの掠れた声でずっとこのような事を言っていた。

「こわいよ…… フゥー…… こわいよ……」

「マジでヤバい…… フゥー…… ヤバいよ…… 」

独り言の合間に毎度息継ぎが入るのが、何だか印象的だった。

僕は歯磨きを終え、柴田さんに話しかけた。

「おはようございます」

「あ、おはようございます」

予想に反して、柴田さんは普通に挨拶を返してくれた。 

「さっきから、ヤバいって言ってますけど、何がヤバいんですか?」

「女子トイレに入ったら看護師に怒られたんです。 本当にすみません! 」

柴田さんは何故か僕に謝ってきた。 銀縁メガネの奥にある、斜視気味の目をキョロキョロさせ、いかにも不安そうな様子だ。

「いや、僕に謝られても…… それで、女子トイレで何してたんですか」

「トイレットペーパーを…… 取りました。 本当にもう持ってなくて」

恐らく、自分の手持ちのトイレットペーパーが無い、と言いたいのだろう。

「そんなにトイレットペーパーを何に使うんです?」

「鼻から、鼻から出るので拭きます」

「はぁ、鼻ですか。 そんなに出るんですか。 ティッシュでは拭かないんですか」

ティッシュより…… トイレットペーパーの方がいいですよね」

相変わらず、目をキョロキョロと動かしながら柴田さんは話した。

どうやら、柴田さんには柴田さんなりのこだわりがあるようだ。僕はあまり納得がいかなかったが、とりあえず話題を変えた。

「そういえばよく、耳も拭いてますよね」

この洗面所では、耳にトイレットペーパーを詰める柴田さんの姿をよく目にしていた。 耳に詰める時に指で縒るからか、柴田さんの使った後の洗面所はトイレットペーパーの屑が散らばっていた。 勿論、それも看護師に叱られていた。

「あ、耳も拭きます。 よく見てますね」 

「柴田さんがよくやってるのでね…… でも、女子トイレに入って盗むのは良くない思いますよ。 看護師さんたちも困ってましたし」

「ごめんなさい! 本当にすみません! 許してください! ごめんなさい! 」

柴田さんは突然大声になり、何度も何度もお辞儀しながら謝った。 本当に、何度も何度もだ。 何だか、50代の男性が謝っているというより、悪戯をした小学生の子供が、親に対して許しを乞う様子を見ているように思えてくる。      

「いや、そんなに謝っても…… 」

僕は柴田さんを止めようとしたが、彼はずっと謝り続けていた。

「許してください! 本当に申し訳ないです!ごめんなさい! 」

「だからぼくに謝ってもしょうがないですって…… 」

「すみません! 許してください! 本当にごめんなさい! 」

喉が充血してしまうのではないかと心配になるぐらい、柴田さんは半ば叫ぶように謝罪を繰り返す。 

壊れた玩具のように何度も何度も謝ってくる柴田さんの様子が少し怖くなり、僕は「それじゃあ…… 」といって洗面所を後にした。 

僕が洗面所を離れた後も、柴田さんの謝罪の声はしばらく聞こえていた。

 

それから自室に戻り、柴田さんのことを少し考えてみた。どうして柴田さんは何度も僕に謝ってきたのかを。

色々考えたが、柴田さんがあんなに謝ってくるのは、自分の罪悪感を自分一人では抱えきれないからではないのだろうか、と推測した。 

罪悪感を抱いている状態というのは気分があまり良くない。だから早くその状態から抜け出したいと考え、とりあえず謝罪をする。 

そのような特徴が当てはまる例として、虐待親の行動パターンが挙げられる。

ある精神科医の話だが、ストレスが高まったりすると、暴力なり言葉なりで子供を痛めつけるが、それが終われば今度は人が変わったかのように謝り倒し、こんなに酷いことをしてしまってごめんなさい、と泣きながら子供に許しを乞う親が、虐待する親の中でも一定数いるのだそうだ。

何故そのようなことをするかというと、子を痛めつけてしまったという罪悪感を、自分1人では抱えきれないかららしい。 とりあえず謝り、相手に許してもらえさえれば、抱えきれない罪悪感が解消され、親は気持ちが楽になる。 しかし、反省している訳では無いので、また同じことを繰り返す。

柴田さんも然り、虐待親も然り、自らの行いに対して反省しているから謝罪するのではなく、自分を他者に許してもらい、早く楽になりたいから謝罪するのだ。 

何というか、ただただ幼稚の一言に尽きる。まだ精神が未成熟な子供がやるのなら許せるが、それを50代にもなってやるのはあまりに稚拙甚だしい。 

もしかすると、これは柴田さんの抱える病気のせいなのかもしれないが、だからといって人に迷惑をかけ続けるのは良いとは言えない。実際、柴田さんが女子トイレに侵入してトイレットペーパーを盗むせいで、女性患者や看護師に多大な迷惑がかかっている。

こういう時にこそ、「ごめんで済んだら警察はいらないんだよ」という言葉がピッタリに思えた。

 

閉鎖病棟入院記④

7月1日(金)

昼食を食べ終えた後の自由時間。 僕はしばらく自室で作業療法室から借りた本を読んでいた。 貧しく孤独な少年が親友と一緒に、夜空を走る汽車に乗って旅をする話だ。

夜空の世界の情感溢れる美しさと儚さ、道中で出会う愉快な旅人たちと、彼らの旅路の果てに待つ哀しい運命との対比で胸がいっぱいになった。

気分転換でもしようと、本を閉じて食堂へと向かった。

食堂の外のベランダには、薄紫色の花をつけた紫陽花が咲いている。 窓際の席に座り、風に吹かれ揺れるそれをぼんやりと眺めていると、心の中でごちゃごちゃと絡まった感情がニュートラルな状態に戻っていくような気がした。

食堂に着くと、先客がいた。 窓の方を向いて座っている小柄なその背中は、15歳の患者である高橋くんのものだ。

高橋くんとは、以前2人で話す機会があった。 その時に、彼は15歳という若さにも関わらず、ゼロ年代のアニメや漫画に精通していることが分かり、アニメオタクである僕とすっかり意気投合してしまったのだった。

ゆっくり近づいてみると、高橋くんは、ノートのページいっぱいに何かを一生懸命書き込んでいるのがわかった。 

僕は高橋くんの斜め前の椅子を引いて、「ここ、大丈夫かな」と聞いた。

高橋くんは溌剌とした笑顔をこちらに向け、「はい、大丈夫ですよ」と答えてくれた。

僕はそのまま席に座り、高橋くんのノートをちらりと一瞥した。ページの上部に、今日の日付と天気が書かれていた。 

「これは日記かな? 凄い文量だけど」

「はい! ノートいっぱいに文字を埋めると、何だか安心出来るんです」

「へぇ…… 何かわかる気がするな」

僕も高校生の頃、日記を付けていた。 内容は…… あまり口には出せない、日常で感じた苛立ちや不満ばかりのドロドロとしたものだった。

高橋くんはそれからしばらく、一心不乱にノートに文字を書き連ねていった。 僕はそれを何とはなしに眺めていた。

ペンを持つ手に力が入っているのか、色白の丸顔が少し上気していた。ノートを見つめる目は切れ長の一重瞼だが、目尻が下がっているので優しげな印象を与える。

着ているのは青色の長袖ジャージだ。 胸元に高橋と刺繍されているから、学校の体操服かもしれない。

ペンを持っている側のジャージの袖がノートに擦れ、少しめくれた。そして彼の手首が顕になった。

高橋くんの手首には、横一直線の傷が何本もあった。それらは既にかさぶたにはなっているが、まだ赤みが残り、比較的新しい傷であることがわかる。

高橋くんは僕が見ているのに気づいたのか、「見苦しいものをすみません」と申し訳なさそうな顔で謝った。 

僕は咄嗟に、「こちらこそ、ごめん」と謝った。

しばらく、気まずい沈黙が2人の間を流れた。

先に話を始めたのは、高橋くんだった。

「禍福は糾える縄の如し、って言葉あるじゃないですか」

突然そんな言葉が出てきて、僕は少し驚いたが、

「あぁ、いい事と悪いことは交互に起こるってやつだよね」

と返した。

「はい。 僕、中学の国語で習ってから、その言葉がずっと頭に残ってるんです」

高橋くんは机に置かれたノートに視線を向けたままだった。 眉間には若干の皺がより、普段は温和な彼の心の奥にある、少し神経質な部分が表出しているように思えた。 

「いい事があった後は、このあととんでもなく悪い事が起きてしまうんじゃないかって、物凄い不安に毎度襲われるんです…… だから、そんな不安を潰すために、僕は腕を切るんです」

そういって高橋くんは、そっとジャージの袖を直した。

「僕、双極性障害って診断で入院しているんですよ。 元気な時とそうでない時の振れ幅が大きいんです。 しばらくは本当に元気で、自分は何にでもなれるし何でもできるって、全能感みたいなもので満ち溢れるのですが、それが終わるともう本当に、これが人生のどん底だ、と思わずにはいられないほど落ち込んで…… それが交互に起こるから、より合わさった藁束が絡まっていく、あの故事成語と重なるんですよ。 いい事の後には、必ず悪い事があるんです」

高橋くんはどこか達観したような口ぶりであった。 もしかすると、その病との付き合いが長いのかもしれない。

僕は、高橋くんがここにいることの意味を再確認した。 

この閉鎖病棟に患者としているということは、皆それなりの事情を抱えているということだ。 

高橋くんと会話をしていると、彼は屈託なく笑い、気さくに話してくれるので、彼には悩みなど1つもないのだと思ってしまいそうになる。だが、それは間違いだ。彼には彼なりの苦悩があり、他人には見えない所でそれと日々戦っているのだ。

 

 

 

閉鎖病棟入院記③

6月30日(木)

6:30に起床。 顔を洗い、朝食を済ませると僕は決まってすることがある。

それは、談話コーナーに置いてある朝刊を読むことだ。 

いい意味でも悪い意味でも刺激がなく、穏やかに時が過ぎ去っていく——この閉鎖病棟の中にいると、外には無数の人がいて、その人たちにより、今でも普段通りの社会生活が営まれているという、ごくごく当たり前のことを実感しにくくなる。

実はもう、外には人間なんて1人もいなくて、活動している生物は病棟の窓から見える、空を飛ぶ鳥や羽虫ぐらいしかいないのではないか、とさえ思ってしまうのだ。

新聞を読むことで、閉鎖病棟の外には物価高で苦しむ国民や、原油高に喘ぐ中小企業、選挙活動に必死な政治家に、熱中症で死ぬ高齢者たちが、確かに存在しているのだと知覚できる。

新聞は、閉鎖病棟に閉じ込められた僕と社会とを間接的に繋げている、 いわば覗き穴みたいなもので、外からは僕らの様子は分からないが、僕らからは文字媒体を通してだが、社会の実情を覗き見ることが出来る。 

今は、新聞やニュースを見る習慣のなかった入院前よりも社会情勢に詳しくなっていると思う。 閉じ込められてから初めて、社会に関心を持つようになったというのは、何だか皮肉な話ではあるが。

 

今日もいつものように談話コーナーで新聞を読んでいると、僕の向かいの席に70代の女性患者が座った。

彼女は笹さんといい、高齢の患者の中でも矍鑠(かくしゃく)としていて、ご飯も高齢者用の柔らかいご飯ではなく常食を食べるし、歩く時には手摺につかまらない。

だが、精神面ではあまり状態が良くないのか、1人で何かをずっと喋っていることが多い。

今日も笹さんは、朝刊から抜き取られて置いてあるテレビ欄のページを虚ろな目で眺めながら、何かを喋り始めた。

「それでさ……わたしが電車のると、ね、いつもあの女の人が嫌な顔してさ…… 周りのみんなもわたしのこと……くさいっていって離れてくの…… わたしの周りだけ、だあれも座らなくって…… だからわたしやだなって…… 」

目の前にいる僕に話しかけていないことは、彼女の目を見れば明らかだった。 どこか遠くを見るようなぼんやりとした目は、虹彩が白目に滲むようだった。

笹さんの独り言は段々とヒートアップしていく。

「……だから、あの女の人はいつもわたしのこと悪く言ってくるの! 近所のひともみんな!なんで?  わかんない!もうどうすればいいかわかんない! 」

わかんない、わかんない、と子供のように繰り返す笹さんはそのまま頭を抱え、机に突っ伏してしまった。 

笹さんが新聞を通して覗き見たのは、彼女が経験した過去の出来事なのか、それとも病のもたらす被害妄想なのか。 答えは彼女自身にも分からないのかもしれない。

閉鎖病棟入院記②

6月29日(水)

閉鎖病棟では、精神疾患を持った患者が療養している。 

基本的にはどの患者も大人しく、穏やかなのだが、中には少し変わった行動をする患者もいる。

50代女性患者の長谷川さんは、歌が大好きなのか、病棟内を散歩しながらよく通るソプラノで歌を歌っている。 

午前中は日当たりの良い食堂に行き、読書をするのが僕の日課だった。食堂には人が立って出入りできるぐらいの大きな窓が並んでおり、僕のいる病棟内では1番外の景色がよく見えるのでお気に入りの場所であった。

いつものように、誰もいない食堂で本を読んでいると、途中で長谷川さんも食堂に来た。

「美しき人生よ〜 かぎりない喜びよ〜」

スリッパをパカパカ鳴らしながらゆったり歩き、堂々とあの名曲を歌いあげるその姿には、羞恥心などは微塵も感じられなかった。

彼女はしばらく、食堂の窓の前に立ち止まり、よく晴れた外の景色を眺めながら、その美声を食堂内に響き渡らせていた。 

入院前だったら、集中を乱されたくないから、と場所を移動していたと思う。だが、入院して数日経った今は少し心に余裕を持てるようになっていたので、せっかくだからこの状況を楽しむのも手かと思えたのだった。

僕は読書を中断し、しばらく彼女の歌に耳を傾ける。

ここはコンサート会場、食堂ホール。 僕が観客で、彼女が歌手。 数分の間だけだったが、小さなコンサートはその時、確かに開演していたのである。

 

夕方頃、風呂から上がって自室でのんびりしていると、何やら廊下が騒がしくなった。

どうやら、新しい患者が来たらしい。 僕の部屋のすぐ向かいにある303号室は個室だ。

ここに来たばかりでまだ不安定な患者は、この監視カメラ付きの個室に入れられ、何か不穏な動きをみせないかどうか、数日間様子を見られる。 その後、問題なければ2、3人の患者が寝ている大部屋に移動し、病状によっては別の個室に移動することになる。

今日来た患者はかなり厄介な人だった。 

30代の男性患者なのだが、背丈もかなりあり体格も良い。 それだけで若干の威圧感を感じるが、彼の恐ろしい部分はそれだけではない。

彼は大声で独り言を話し、勝手に病室を出ては自分の要求を大声でがなりたてる。要求が通らないとこれまた大声で罵詈雑言を放ち、壁やドアを殴る蹴る。 

「ねぇごはんまだーー?」

これを何度も何度も繰り返し廊下で怒鳴る。 看護師はその度に「あとちょっとだから部屋で待っててね」と部屋に戻らさせる。 

それでも彼は勝手に部屋から出てきて、同じ問答を繰り返す。

何回かそのサイクルを続けてから、看護師の態度が何か気に食わなかったのか、「なんだよ、くそったれがよ!」と壁を思いっきり殴りながら大声で悪態をつき始めた。静かだった病棟内の廊下には、彼が壁を殴ったり蹴ったりする物々しい音がしばらく響いた。

頭は子供のまま、図体だけ大きくなってしまった、という表現がぴったりな人だった。

もちろん、こんな患者を看護師は放っておくことはなかった。

看護師たちは数人がかりで彼を宥めすかし、そのまま彼を隔離病棟へと連行していった。

隔離病棟は、閉鎖病棟のさらに奥、僕らのいる病棟から分厚いドア1つ隔てた場所にある。 隔離病棟に入ったことのある人曰く、『あそこは独房だよ』 とのこと。

正方形の狭い部屋に固いベッドとトイレのみがあり、用を足しても手を洗う蛇口なんてものは無いのでウエットティッシュで拭くようだ。

それ以外の家具はなく、冷たく無機質なその部屋を、その人は『あんなところ、入るもんじゃない。 もう二度とごめんだね』と苦々しく吐き捨てていた。

実際、隔離という名前通りの構造らしく、向こうの声や物音は全くこちらの病棟には聞こえてこない。 明るくて穏やかで何も無い閉鎖病棟に、再び静寂が訪れたのである。

 

閉鎖病棟入院記①

〇まえがき

この日記は、数日前から精神病院の閉鎖病棟に入院している私が、日付感覚を忘れないように書いていくものだ。スマホが使えるようになったのが5日目だったので、5日目の日記から始まる。

なお、嘘八百日記の趣旨に沿い、この日記はいくつかフェイクが混ざっている。 どこが嘘でどこが真実かを考えながら読むのも面白いかもしれない。 だが、答え合わせをする予定はない。

 

6月28日(火)

閉鎖病棟に来て5日が経った。 ここは明るくて穏やかで、何も無い。 スマホをやっと使えるようになったので、今日から日記を書いていこうと思う。

昼食の時、食堂でご飯を食べていると、同じ病棟の柴田さんという50代の男性患者が看護師に叱られていた。

どうやら彼は出されたお茶を、コップからご飯を食べ終わった茶碗に移して飲んでいたらしい。そんな飲み方は行儀が悪いと叱る看護師の注意の中で、「お里が知れますよ」という言葉が出てきていた。

昭和の小説の中ならいざ知らず、令和の現代においては、その言葉はどこか時代錯誤で、埃すら被ってそうなほどの古めかしさを感じずにはいられなかった。

柴田さんは「はい」とだるそうに返事していたが、その後も茶碗から茶を飲み続けていた。

柴田さんはよく、ズボンのおしり側に使いかけのトイレットペーパーを挟んで病棟内をのそのそ歩き回っている。  その様子から、おしりから出ているしっぽのような便所紙と相まって、ウルトラマンに出てくるゴモラとかブラックキングのような、ひょろりと長いしっぽのある怪獣の姿を連想してしまう。

 

午後には両親との面会時間があった。スマホを始めとした生活用品や衣類、洗面用具や暇つぶしの為の文庫本数冊を持ってきてくれた。 

「そういえば、昨日久瀬さんが家にきたぞ」

父は少し嬉しそうに言った。

久瀬さんは僕が大学1年生の頃からお付き合いをしている女性だ。 付き合って今年で5年になる。

彼女とは、先週の土日に会う予定があったのだが、僕が先週の金曜に自殺未遂をしてしまい、そこから精神病院に強制連行されたため、彼女にはしばらく入院するという旨を伝えていなかった。 金曜以降、僕に電話しても繋がらなかったことに心配し、わざわざ実家まで足を運んでくれたそうだ。

「いい子だし、本当に可愛らしい子だったね」

と、気難しい母が珍しく久瀬さんをべた褒めした。

両親と久瀬さんが顔を合わせるのはこれが初めてだったのだが、両親はすっかり久瀬さんを気に入ったようだ。

何だか嬉しいような、こそばゆいような、そんな浮き足立った気持ちになってしまった。

明日、電話の許可が主治医から正式に下りたら、久瀬さんに電話しようと思う。

 

想像の翼を羽ばたかせて

今日の朝、少し嫌なことがあった。

大学に登校する道の途中、人が2人並んでやっと通れるほどの細い歩道があった。 

僕はいつものようにそこを歩いていたところ、向こう側から男子高校生3人が歩いてきた。完全に横並びというよりは、 端にいる1人が他の2人の少し後ろに続いて歩いているといった感じだ。

彼らとすれ違おうと僕は端に寄ったのだが、端にいた男子高校生が後ろに行ってくれなかったため、その男子と僕は肩がぶつかった。 

僕は「すみません」と言ったが、ぶつかった男子高校生は一言も謝らず、そのまま行ってしまった。 

ついつい悪態をつきたくなったが、何とか堪えた。

あの男子高校生のせいで頭の中は苛立ちでいっぱいだ。 まあ、朝が苦手ということもあり、元から機嫌が悪かったというのもあるが。

だが、ここで少し考えてみた。 男子高校生が僕とすれ違うために端に寄らなかった理由を。 普通なら、向こう側から人が来ればその人を避けて歩こうとするだろう。きっと彼には何か異常事態が起きていたに違いない。

1人の男子高校生が他の2人に少し遅れて歩いていたことから、あるストーリーが組み立てられた。  端にいた男子を山田、他の男子を佐藤と鈴木と名前をつけ、3人の関係性を想像し、心を落ち着けようと試みた。これがよく言うアンガーマネジメントというやつだろう。

 

「てか、昨日の東海の動画みた? 」

「みたみた!  あれヤバかったよな」

「てつやがさ〜  マジヤバかったよな!!」

登校道の途中、佐藤と鈴木は最近よく観ているYouTuberの話で盛り上がっている。この2人は気が合うのか、いつも楽しそうに話している。 

山田はそんな2人を少し後ろから見ていた。 

山田、佐藤、鈴木は同じバレー部に入っており、登校に使う電車も同じことから3人で登下校をするのが当たり前となっていた。 

だからといって3人全員が仲良しか、というとそうでもなかった。 

山田は自分がこの3人の中で浮いていることをよく自覚していた。 彼ら2人に比べ、山田は少し卑屈で垢抜けず、興味のあるものも2人とは全く異なっていた。 

本当は1人で登校した方がましだった。 だが、同じ部活に入っているということもあり、『1人で登校したい』と言えば波風を立ててしまいそうだったので中々言い出すことができなかった。

山田は少しでも2人と距離を近づけようと思い、2人がよく見ているYouTuberの動画も見始めたし、2人がよくやるゲームもプレイしてみた。

「お、俺もその動画みたわ。 ゆめまるがキモかったよな!!」

山田は思い切って2人の会話に入ってみた。

「…… え、そうか?  」

「別にそうは思わなかったけど」

「あ、そっか…… 」

2人は山田の発言に対して、微妙な反応だった。 その後も2人はあれこれ話題を変えながら、会話をしていた。

「鈴木、最近APEXやってんの? 」

「俺はVALORANTやってる」

「それ、APEXのパクリゲーじゃん! 」

今だと思った山田はすかさず返す。 だが、鈴木と佐藤の反応はイマイチだった。 

「……あぁ、まあそうかもな」

また失敗した。 どうしよう。 山田は焦る。

そもそも山田は人と会話することが不得手であった。 他者と話す際にどんなことを言えば会話が繋がるのか、場が盛り上がるのかがよく分からない。分からないから、他人と感情を共有しやすいであろう悪口を言っておけば何とかなる、と無意識的に判断していた。

だが、そういった発言が周りを嫌な気持ちにする場合もあることまでは分かっていなかった。山田はコミュ障だったのだ。

頑張って2人の話について行こうとすれば空回り。 この2人との距離は埋まらない。どう足掻いても2人のようにスムーズな会話ができない。

今の自分はあまりに惨めだ。 必死で2人について行こうとすればするほど上手くいかない。 でも、何とかして仲間に入れてほしい…… 

1人にしないでほしい。 自分1人だけ置いていかないでほしい。

山田は2人の横に並べるよう、無意識に早足になる。

その時。 

どん。

山田は周りが見えていなかった。 対面に人が居ることに気が付かず、すれ違いざまに肩がぶつかってしまった。 

「すいません」

肩がぶつかった男性は謝ってくれたが、山田は咄嗟に言葉が出ず、謝ることが出来なかった。 

そのまま男性は去っていった。 男性とぶつかったことで、山田は冷静になった。 

本当に、何をやっているんだろう。 自分が情けない。

山田は空回りする自分の惨めさとぶつかった男性への罪悪感、どうやっても2人についていけない劣等感で頭の中がぐちゃぐちゃになる。 いつもの通学路が色あせてみえた。 

 

以上が、僕の考えたあの男子高校生にまつわる話だ。こういう事情があるのなら、さっきぶつかった男子のことも許せる気がする。 きっと向こうには余裕がなかったのだ。だったら仕方がない。これ以上イライラしていてもしょうがないだろう。

いま、僕の心はウユニ塩湖のように澄み渡っている。僕のように、しょうもないことを考えるのが好きな人には、苛立ちを抑えるための方法としてこれをオススメする。