嘘八百日記

このブログ記事は全てフィクションです。

遺書

私はとっても幸せな人間でした。

周りの人にも家庭環境にも恵まれています。 世界中で1番幸せな人間です。

ある小説では、『悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感というもの』と言っていました。

私は今、同じ気持ちです。 とても幸せです。悲しい気持ちのまま死ぬわけではないです。心の中は荒涼としていて、空っぽです。 そこに悲しみはありません。

周りに私を傷つける人間がいるわけでもないし、 同情されるほどの悲惨な目に遭って苦しめられているわけでもないです。 誰も悪くないです。 

私と知り合った方々、私が死ぬ前に何か出来ることはあったんだろうかと考える必要はありません。 ただちょっと、私の体はこの世界で生きるのに向いていなかっただけです。 この先もこの世界で生きていくことは難しいと常々感じていました。  私のわがままで自死を選んでしまい申し訳ございません。 私と仲良くしてくれた皆様、ありがとうございました。

 

 

 

異常独身男性の憂鬱⑦

「ん、……ぁっ」

「ここがいいんですね……? 」

「あっ、は、ぁ…… そこ、きもちいい、ですっ…… 」

村雨さんの嬌声がリビングに響く。部屋は間接照明のみがつけられており、暖色の柔らかな光が彼女の肢体を艶めかしく照らしていた。

「じゃあ、ここなんてどうでしょう」

「ん、ふぅ…… そこ、だ、めっ…… ぁ、ぁ…… 」

俺の指先が村雨さんの体にゆっくりと沈み込む。なんて柔らかいんだ。男性のそれとは全く違う感触に、俺は我を忘れそうになる。

「やっ…… ぁ、それ、すごいです…… だめっ…… 」

村雨さんの声は快感の色に染まる。 俺の与える刺激に、体を僅かにびくつかせながら、だんだんと体が温まってきているのが指先から伝わってきた。

「んぁ、 ぁ、ぁっ……ぁ…… は、ぁ、それ、きもちいいっ、です…… さとうさん、すごいですっ」

 

 「……あの、そういう声出されると、ちょっと恥ずかしいというか…… ただのマッサージですし……」

「ふぇっ!? すみませんっ! あまりにも佐藤さんが上手だったので、つい……」

村雨さんは起き上がると、ぽっと頬を赤らめた。

俺はリビングの絨毯の上にうつ伏せになる村雨さんの背中をマッサージしていたのだった。

村雨さんとのデートから数週間が経った。 彼女との奇妙な同棲生活は続けている。

あのデート以降、俺は少しだけ村雨さんに気を許せるようになっていた。 今までは彼女のことを全く知らなかったのだが、デート中に色々と話をして、村雨さんの好きな物や照れたり焦ったりする人間らしい一面を垣間見ることが出来たからか、親しみのようなものを感じるようになったのだった。

俺は相変わらず仕事は続けており、昼間は家を空けていることが多かった。

村雨さんは掃除、洗濯、炊事と、この家での家事全般をやってくれていた。 どうやら村雨さんは月に一度、異常独身男性監視委員会の本部に行く必要があるそうだが、それ以外は報告書を作成するなど、家で出来る作業を普段はしているらしい。だから積極的に家事をやってくれていたのだった。 

とはいえ、流石に申し訳ないので、いつも何か俺にできることはないか、と村雨さんに尋ねていた。

大抵は「大丈夫ですよ」とにこやかに微笑んで俺に頼み事をすることが無かったのだが、今日は「ちょっとお願いがあって……」と言ってくれたのだった。

村雨さんのお願いは、マッサージであった。 どうやら今日は細かい作業が多かったらしく、体が凝ってしまったようだ。そんなことで良いならと、俺は二つ返事で了承した。

実家にいた頃は、よく母や妹に言われて肩を揉んでいたからか、人よりもマッサージが上手くなったのかもしれない。 少々いかがわしい感じになってしまったが、村雨さんに喜んでもらえたのなら良かった。

 

翌日。仕事でクタクタになった体を引きずって、家に帰った。 玄関はいつも通りに明かりが付いていた。 村雨さんが俺の帰宅に合わせて付けておいてくれるのだろう。玄関に暖房はないが、外と比べるとだいぶ暖かく、俺はほっとため息をついた。 

自分の部屋にコートと荷物を置いてからリビングに入ると、村雨さんはいなかった。 いつもはリビングに彼女はいて、「おかえりなさい」と出迎えてくれるのだが。 明かりは付いているが、村雨さんの姿は見えなかった。きっと自室にいるのだろうと思い、俺は手を洗うために洗面所に向かった。

いつもは開けっ放しになっている洗面所の引き戸が何故か閉まっていたが、俺は仕事で頭が疲れていたので、あまり深くは考えずに扉を開けた。

扉を開けると、そこには村雨さんがいた。一緒に住んでいるのだから、洗面所に村雨さんがいても何らおかしくはない。だが、村雨さんの恰好が問題だった。

今しがた風呂から上がってきたのか、村雨さんは一糸まとわぬ姿でそこに立っていたのだ。

全体的にほっそりとしており、凹凸の少ないボディラインには幼さも感じられるが、確かな膨らみのある小ぶりな胸、丸みのある尻は女性的な曲線を作り出していた。髪の毛はしっとりと濡れ、思わず触りたくなるほどに滑らかな肌はほんのり上気し、薄桃色に色づいているのが艶めかしかった。

見てはいけないものだとはわかっているので、すぐに目を逸らしたのだが、衝撃的でもあり、魅惑的でもあるその光景はばっちりと脳裏に焼き付いてしまった。

普段の村雨さんが絶対に見せない姿を不可抗力的に見てしまった俺は、服の上からは絶対に分からない、女性が本来持つ、男を惑わさずにはいられない曲線的な体つきに僅かな興奮を覚えるとともに、恋人でもない女性の裸体というとんでもないものを見てしまったという数多の罪悪感で胸がいっぱいになった。

俺の頭は真っ白になり、固まった。 予想だにしていない事態が起きると、人間はそう簡単に対応することが出来ないということなのだろう。 村雨さんもかなり驚いているらしく、顔を真っ赤にしながら反射的にバスタオルで裸体を隠したが、それ以降は固まってしまっていた。

「佐藤さん…… その…… 恥ずかしいです…… 」

「あっ、す、すみませんでした!!!!」

俺は我に返り、急いで洗面所から出て扉を閉めた。 扉を背にもたれかかり、破れんばかりに鼓動を打ち続ける心臓を落ち着けるために、二、三回深呼吸を繰り返した。

「こちらこそ、すみません…… 佐藤さんが帰ってくる前に汗を流しておこうかと思っていたのですが…… 」

「いや、村雨さんは何も悪くないですよ! 俺が何も考えずに扉を開けちゃったのが悪いです」

俺は慌てて否定した。 

「その、本当にすみません! 今見たのは全部忘れますから!!」

咄嗟に出た言葉だが、本当に全部忘れられるとは思えなかった。

「それは大丈夫ですよ! 気にしてるけど、気にしてないので!」

村雨さんも冷静でないのか、矛盾した発言をしてしまっている。

「やっぱり気にしますよね…… 絶対に忘れるので安心してください!! 1、2、ハイっ! 忘れました! 俺は何も見ていません! 」

「佐藤さん…… 」

村雨さんは少し嘆息すると、

「私ももう大丈夫です! なので佐藤さんもあまり気になさらず」

朗らかに許してくれた。 ありがたい限りだ。

風呂場での騒動の後、俺はかなりの気まずさがあったが、村雨さんはいつも通りにこやかに接してくれた。 軽蔑されてしまっても仕方がない状況であったにも関わらず、村雨さんは普通だった。それが何よりもありがたかった。

 

その夜。 俺は自分の部屋で既に寝ていた。 

部屋を暗くし、ベッドの上に横たわっていると、これまであったこと、これからのことがぐるぐると頭を駆け巡る。 今の自分の生活は、一年前の自分が到底考えつかないようなものに変化してしまった。 まさか自分が女性と同棲することになるなんて。 まあ、同棲の理由はあくまで俺の監視なのだが。

それを忘れてしまいそうになるほど、村雨さんは俺に対して自然に接してくれるし、彼女との生活は心地が良い。しかも、村雨さんの見た目は非常に俺の好みと重なっている。 俺は童顔で可愛らしい女性がタイプなのだが、村雨さんはその特徴を全て兼ね備えた女性である。 悪く思うわけがないのである。

そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。

「は、はい!」

こんな時間に村雨さんが部屋を訪れたことがなかったので、少しびっくりしてしまった。

「夜分にすみません。 入ってもよろしいでしょうか」

「ええ、いいですよ」

ドアが遠慮がちに開き、村雨さんが入ってきた。村雨さんはピンクのふわふわした生地のパーカーを着ていて、可愛らしかった。

「その…… 佐藤さんにお願いがあって」

「はい、なんでしょうか」

「えっと…… もし良ければ、私と一緒に寝てもらってもよろしいでしょうか」

「へ? 」

予想外の頼みである。 俺は素っ頓狂な声を出してしまった。 一緒に寝るってことは、このベッドの上で二人並んでということだろうか。 

「その、本当に一緒に寝るんですか!? 俺なんかと一緒のベッドなんて嫌じゃないんですか」

「嫌じゃないです。 むしろ佐藤さんと一緒がいいです」

「それに俺、あまり寝相が良くないかもしれませんし…… 」

「大丈夫ですよ。 私もさして寝相が良いわけでもありませんので」

村雨さんはやけに積極的である。 結局、俺は村雨さんの押しに負け、俺たちは一人分のベッドで二人一緒に寝ることとなった。

村雨さんの方を見て寝るのはかなり恥ずかしかったので、俺は村雨さんに背を向けて寝た。

村雨さんは、「すみません、ありがとうございます」と言い、俺と背中合わせに布団に入った。

「佐藤さん」

「はい」

「これはあくまで例え話なのですが」

村雨さんはそう前置きをして、ゆっくりと話始めた。

「ある少女がいます。 その子は、人並みに心を持っていて、人並みに感情も持っています。 でも、周りの人からはそういう感情は一切捨て、機械のように命令に忠実に動くことを望まれています」

ぽつりぽつりとつ呟くように話す村雨さんの声は、いつもより僅かに震え、頼りなさげだ。 

「その子はこれから先、どんな末路を辿るのかも、もうわかっています。 彼女はこの先、何を希望に生きていけば良いと思いますか」

村雨さんが今した話は、恐らく彼女自身のことなのだろう。 それは察しの悪い俺だってわかる。 だが、そうだとすれば余計に何と言えばよいか分からなくなる。 俺みたいな出会って1ヶ月の人間が不用意なことを言ってしまっては、村雨さんを傷つけてしまうかもしれないし、今の俺は彼女を満足させられる言葉を持っていなかった。

黙りこくってしまった俺を見かねてか、村雨さんは慌てたように言葉を継ぎ足した。

「こんな話されたって、どう答えればいいかわかりませんよね! すみません、少し怖い夢を見たので弱気になってしまって…… 」

顔は見えないが、きっと村雨さんは申し訳なさそうに曖昧な笑みを浮かべているのだろう。 俺は自分が情けなかった。 

俺は村雨さんの言葉のお陰で気持ちが軽くなったこともある。 彼女に助けてもらったことだってあるのに、俺は彼女の役に立てないなんて。

「…… 上手く答えられなくてすみません」

俺は村雨さんに謝罪した。  村雨さんは「全然大丈夫ですよ」と答えてくれたが、俺の心にはもどかしさとやるせなさが澱のように残った。

それっきり、二人の間には長い沈黙が訪れ、夜は静かに更けていくのだった。

心の贅肉のポワレ 希死念慮と劣等感のキャベツ包み 隙自語を添えて

 これは遺書のようなものである。 いつ自分が死んでしまっても大丈夫なように、文章の形で今の自分の気持ちを残しておこうと思う。 自分が何も残さずに死んだら、私という存在がそもそもなかったかのように忘れられてしまいそうで、それがすごく怖かった。自分語りとはなってしまっているが、こんな人間がいたということを知ってもらえたら嬉しい。
 
 私の心には、常に死にたいという欲求が存在している。
 何か気分転換に小説を読んだり、自分で小説を書いてみても、それは希死念慮を薄めるだけで完全に取り除くことは出来ない。愉快なコンテンツや刺激的な出来事、刹那的快楽は一時的に希死念慮を希釈するだけに過ぎず、それがどうしても虚しく思えてしまうのだ。僅かな楽しみは、後から迫りくる漠然とした不安感やその後の人生への諦念なんかで塗りつぶされる。
 どうせこのまま死にたい気持ちと格闘し続けるだけなら、私の周りにあるものは全て無意味なのではないのかとさえ感じてしまう。
 死は救済とまでは思わないが、逃避の手段にはなりうると思う。ここで人生を終わらせてしまえば、その先に待っている将来について考える必要がなくなるし、将来に関わる不安感もなくなる。甘えた考えではあると思うが、今の私としてはもう何も考えたくないから、それを選びたい。
 そう思ってしまうのは、病気のせいなのかもしれないけれども、今の状態では死んでしまいたいというのが自分の本当の願いのように感じてしまう。 脳内伝達物質の濃度が低いせいでこのような希死念慮に苛まれているというのは理屈では分かっている。 でも、今こうして、どうしようもなく死にたいと思う自分の気持ちは、本物のように思える。だから苦しい。 自殺したくてもなかなかできることじゃないから、その欲求を満たすことはかなり難しい。だから切ない。
 
 自分がこうなってしまったのは、他でもない自分のせいだ。生きていくうえで、今まで私がしてきた選択の結果だと思う。以前は、私が病気になったのは親が冷たかったせいだ、これまで私を傷つけてきた人たちのせいだ、と本気で思っていたが、今はそうではないと思っている。 
 ただ、今日に至るまで、心を病むような選択肢ばかりを選んでしまったのは、私の心にある認知の歪みによるもので、その認知の歪みは幼少期からの経験や環境が少なからず影響しているような気がする。

 私は、幼いころから自分のことしか考えられない人間だった。
 幼い私は、思ったことはすぐ口に出すし、自分が不快だと思ったものはすぐに切り捨てていた。 自分の気持ちが一番で、他者がどう思うかなんてどうでもよかったのだ。 
 それでいて被害妄想が強く、ちょっとでも自分を否定するようなことを言われれば感情的になり、すぐに泣いていた。他者が傷つくのはどうでもよいのに、自分が傷つくことだけは許せなかったのだ。
 当然、小学校のクラスメイトからは嫌われていた。 小学五年生の時にはこれまで友人だった女子三人からいじめられた。いじめられて当然の生徒だった。
 こういう時に、「親のせいでこうなった」という論法があまり好きではないが、幼少期の私がこんな性格だったのは親の影響が多少あったのかな、とも思う。
 私の母親はかなり厳しく、感情的になることが多かった。 母親の言いつけを守れなければ大声で怒鳴り散らされ、叩かれていた。言いつけを守らない以外にも、母親の機嫌次第では特にこちらが何もしてないのに叩かれ、理不尽に怒鳴られることもあった。 幼少期の母親は、いつも怒っていた印象だ。
 当然、母親に褒めてもらえるといったことは皆無で、私は最低限の自己肯定感を培う材料になる『親からの承認』を得ることが出来なかった。
 その結果、自己肯定感を喪失した、被害者意識ばかりが肥大化した子供になってしまったのかもしれない。 いつも母親から怒られていたストレスからか、感情のコントロールをが上手くできず、思ったことをそのまま言ってしまって他の生徒を傷つけてしまっていた。
 小学五年生の時に、友人だった三人の生徒からいじめられたことがきっかけで、自分の在り方を見つめなおした。
 それで今度は、思ったことを全く言わず、本音は常に隠して相手が欲しがっている言葉ばかりを言うようになってしまった。 私は不器用なので、ゼロか百かでしか物事を考えられない、極端な部分があった。
 この傾向は今でも完全ではないが残っており、自分の思ったことを他人にそのまま伝えるのは大きな抵抗があるので、無意識的に本音を偽って道化を演じてしまう節がある。何か嫌なことや辛いことがあっても、それを他人には相談せずに自分で抱え込んでしまうのだ。 この性格によって、私が精神を病んでしまったのだと思う。
 自己肯定感が低いだけでなく、完璧主義的な部分があることも、私の性格が抱える問題の一つである。
 私の両親は優秀な人だった。父は大企業に勤めて三人の子供を大学まで通わせられるだけの収入をもらっていた、社会的にも成功した部類の人だった。母は大手保険会社に勤めていた経験もあり、専業主婦になってから再度大学で勉強し、司書の資格を取るほどの勉強熱心な人だった。
 そんな両親は、努力することが大事で、向上心を常に持っていれば報われるのだと自身の経験から学んでいたのだろう。 私が小さいころから『辛い方の道を選べば、自分がより成長できる』と言い、常に高いハードルを課すべきなのだと子供に教えていた。
 私もそれが正しいことだと信じ、これまでの人生で選択に迫られた時は自分にとって楽な方でなく辛いものを選ぶようにしていた。 中学では、忙しくて厳しいと分かっていながらも強豪の吹奏楽部に入部した。高校に首席で入学したので、沢山勉強して卒業まで成績首位を保った。両親の勧めで大学の志望校を有名大にし、合格した。
 そういう生活はあまり優秀でない私にとっては合わなかったのだと今になって思う。 中高時代は常に過度なストレスがあり、ほぼ毎日朝に吐いていたし、今よりも情緒不安定で登校時に電車の向かいに座る人を突然殴りつけたらどうなるかな、人を殺したら面白いのかな、と誰かを無性に傷つけてやりたいと思う、攻撃的で歪んだ思考に陥っていた(何とか行動に移さないよう理性で抑えた)。当時の自分を思い返すとかなり異常だったと思う。大学に入ってからは他者への攻撃性は殆どなくなった。 
  でも、努力し続けないと両親に認めてもらえないし、何もできない自分は生きていちゃいけない気がしたので頑張った。 このころから完璧主義的な部分が形成されたと思う。低い自己肯定感と完璧主義によって、私は自分で自分の首を絞めるような感じになっていた。
 
 私が本気で死んでしまいたいと思うようになったのは、大学三年の夏である。 それまでは、うっすらと死にたいと思っても、それは輪郭を持たない小さな願望に過ぎなかった。
 大学に入学してから、私はとあるサークルに所属していた。 混声合唱のサークルで、比較的人数も多く、真面目に活動していた団体だった。 
 一年生の頃はとても楽しかった。 これまでにないというほどに気の合う友人たちに恵まれ、その輪の中で私は中心的なポジションにいることが出来たので、友人たちから自分の存在を肯定し、受け入れてもらえているのだと思うことが出来た。
 これまで、成績や容姿は褒められたことはあれど、私自身の存在そのものを肯定してもらえたことはあまりなかった。 頭いいね、可愛いね、と言われ、虚栄心はくすぐられたが、どこか空虚に思えたのだった。
 今思えば、私は他者からの肯定に依存していたのである。 自分で自分を認められないがゆえに、他者からの承認と肯定に飢え、そればかりを求めるようになっていたのだ。
 他者から全幅の肯定を得られているうちはそれでよかったのかもしれない。 だが、ことはそう簡単には運ばないのだった。 
 大学二年生。 サークルは混声合唱団なので、ソプラノ、アルト、テノール、バスの四つのパートに分かれていた。 それぞれのパートにはパートリーダー(パート練習を仕切る役目)がいて、それを務めるのは二年生であった。 私はソプラノパートに入っていた。
 自分がサークルの中心的人物だと信じて疑わない私は、自尊心でパンパンに膨れ上がった状態のまま、パートリーダーに立候補したのだ。 これが間違いだった。
  最初の頃はよかった。だが、だんだんと、周りの同期の歌唱力がめきめきと上達していき、一方で私は自分の技術が上達しないことに悩むようになった。自分はパートリーダーという役職についているのに、それ以外の人より歌が下手なのはまずいと思うようになった。 同じパートの先輩にも、暗にお前の歌が下手だとパートの皆の手本になれない、と言われたこともある。
 このままでは他のサークルメンバーから必要とされなくなってしまうかもしれない。それだけは嫌だった。何とか上達しようと、 サークルの外部指導者の元へ何度も足を運び、個人レッスンをしてもらった。そこでかなりのダメ出しをされて半泣きにながら、それでも何とかレッスンを続けていた。
 必死だった。 皆から認められなければと必死だった。 それでも、私よりも個人レッスンに行っていない人の方が歌が上手だったり、オーディションでソロを勝ち取っていたりすると、自分が頑張っていることは無意味なのではないかと不安になった。
 レッスンに行ったり、練習を頑張ったおかげで、最初の頃よりはだいぶ歌は上手くなったとは思う。しかし、自分の周りの同期に比べると劣っていた。周りと自分を比較して劣等感に苛まれながらも、パートリーダーは二年生の最後までやり遂げた。
 大学三年生からは、サークルの運営に携わらなくてはいけなかった。 相変わらず肥大化した自尊心を飼っていた私は、運営の中でも重要な役職についてしまった。 目に見えて皆の役に立つポジションにいないと、自分の存在価値がなくなってしまうのではないかと不安だったのだ。
 サークルの練習は週三回で、夕方六時から夜八時まで行っていた。 三年生は練習終わりに毎回のように学校に残り、夜遅くまでサークルの運営に関わる会議をしていた。
 その会議でも、私の周りは優秀な人ばかりだったので、自分の仕事の出来なさや頭の回転の遅さを再認識しては落ち込んでいた。
 当時、私は実家暮らしで、実家は大学からかなり離れていたため、その会議が終わってから帰宅すると夜の十二時近くになっていた。 その翌日に一限の授業があったりしたので、睡眠時間はかなり短くなった。
 自分が不出来な人間であること、睡眠時間が短くなったこと、相変わらず周りより下手な歌唱力に劣等感を抱いていたこと、諸々が重なり、私は段々とサークルに行くのが億劫になってしまっていた。練習中に気分が悪くなり、早退することが増えた。サークルの同期のライングループに通知が来ているのを見るだけで動悸がした。 テスト期間でサークル練習が休みになっていた時は、勉強だけをすればよかったので幸せだった。休日は体を動かしたくなくて、一日中ベッドの上で過ごすということが増えた。
 そんなことが続いたある日の朝。確か三年生の夏だったと思う。 ベッドから起き上がろうとしたら、体が動かなかった。その日は一限から授業があったので、すぐに体を起こして支度をしなければならなかったのに、体が動かなかったのだった。 一限は諦めた。
 やっとのことで体を起こして、三限から授業に行こうと思った。 
 朝の混雑時からだいぶずれた時間の小田急線は空いていた。 窓からは日光が燦々と降り注ぎ、ガラガラの車内を明るく照らしていた。
 太陽の光に暖められた座席に私はどっかりと腰を下ろしてから、スマホの画面を見た。ラインを開くと、サークルのグループからの未読通知が十数件溜まっていた。少し躊躇いながらトーク画面を開き、ただ一言、『退部させていただきます』と送信した。もう限界だったのだ。
 結局、あそこまで必死に歌の練習をして、サークルの運営にも積極的に関わろうとしてたのに、あとには何も残らなかった。 途中でやめてしまっては、成功体験も何もない。そこにあるのは惨めな挫折感と調子を崩したメンタルだけだった。

 大学の学生支援室で受けられるカウンセリングには数回通った。 担当のカウンセラーは五十路のしょこたんといった雰囲気の女性で、妙に高圧的な部分があったので苦手だった。 その人のカウンセリングはすぐにやめ、病院から来ている精神科の医者のカウンセリングを受けるようになった。そこで、精神科の通院を勧められ、二年以上経った今でもその病院に通っている。
 精神科での診断はうつ病だった。 診断を受ける前から、何となくだがそんな気はしていた。 まさか自分が精神病に罹るとはこれまで思ってもいなかった。

 サークル活動はあくまできっかけであると思う。私のそれまでの選択によって形成されてきた人格や思考の癖の上に最後の藁よろしくサークル活動での劣等感が載せられて、とうとうラクダの背骨を折ってしまったといった感じだ。
 処方された薬が効いているのかどうかは分からなかった。サインバルタ、レクサプロ、バルプロ酸アモキサン、ミルタザピン、色々試したが、効果を実感したものはなかった。今では元気になるから薬を飲んでいるというより、薬を飲まないと離脱症状でかなり苦しむから飲んでいるというような感じだ。 
 それでも、精神科に初めて受診したころに比べるとまだましにはなったかもしれない。当時はかなり情緒不安定で、何もなくても突然泣き出したり、親しい人間を酷い言葉で傷つけたり、幼児退行して親しい人間に依存したりしていた。
 前より安定したとはいえ、死にたい気持ちは相変わらずある。むしろ希死念慮に至っては前よりも強くなったかもしれない。ドアノブで首を吊る非定型縊死はこれまで何度かやったが、上手く血管を圧迫できず失敗した。 飛び降りや飛び込みはいざやると恐ろしくなって尻込みしてしまった。 自殺には勇気がいるというよりは、死ぬ直前に待ち受ける、経験したことのない痛みや苦しみへの恐怖心を鈍麻させるほどの衝動が必要なのだと思う。 私は冷静さを捨てきれないため、いつもギリギリで踏みとどまってしまう。情けない。
 まだ挑戦してない死に方がある。それは凍死だ。 寒い冬の夜に、外のベンチに座って酒と睡眠導入剤を飲んでそのまま凍死したいと考えている。 死に場所はなるべく綺麗な場所だといいので、電車にのって三駅ほどにある綺麗な公園にでもしようかなと思う。 凍死は、体温が下がって寒くて辛くなる時に意識があるとだいぶ苦しんで死ぬらしいので、酒と睡眠導入剤で意識をなくした状態で深部体温を下げていきたい。今年の冬に挑戦してみたいが、私は臆病なので本当にできるかどうかは分からない。 

 


 
多分、本当は死にたいんじゃなくて、生きる上で自分にのしかかってくる苦しみだと不安から逃げたいだけなんだよ。 それが無ければ私は死ぬ必要もないと思う。本当は死にたくなんかない。 でも、現状を打破しうる気力も体力もない。他人に助けを求めたって誰も助けてなんかくれない。家族には頼れない。 どん詰まりでどうしようもないから死ぬという選択肢が頭にちらつくんだ。視野が狭まって、死ぬことが最適解なんじゃないって思えてくる。 間違っているのはよくわかる。でも、どうしようもない。自分を助けられるのは自分だけで、その自分がもう駄目ならどうしようもないのだ。
 
 

異常独身男性の憂鬱⑥

デパートを出てから、俺たちは一息つくために駅から出てすぐの所にある喫茶店に来ていた。

チェーン店なのだが、コーヒーの豆にこだわっているらしく、価格が高めであるからか客の年齢層が高く、繁華街の中であるというのに落ち着いた雰囲気であった。

村雨さんと俺は窓側のテーブル席に座った。 俺はホットコーヒーとチョコケーキ、村雨さんは紅茶とモンブランを頼んだ。

「そういえば、佐藤さんはずっと一人暮らしをされているんですか? 」

「はい、大学時代からずっと一人暮らしでした」

前に住んでいたあのワンルームのアパートには、大学入学を機に住み始めたのだった。最近、村雨さんがやって来てから今のマンションに引っ越すまでの8年もの間、あのアパートに住んでいたということになる。

「そうなんですね! それでは、ご家族の方は寂しがっていそうですね」

「いやぁ、どうでしょうね…… 俺、実家では浮いてましたし…… 」

俺は苦笑いをしてしまった。

「俺の家族は、俺の他には母と妹がいるんですけど、やっぱり母と妹は女同士なので仲がいいんですよね。 俺が何か言っても母と妹が団結してねじ伏せるから、俺はいつも尻に敷かれている感じでした」

母も妹も我が強く、俺とは全くの正反対な性格だ。似たもの同士の母と妹はとても仲が良く、 俺が母か妹と喧嘩すれば大抵2対1になるので、俺が喧嘩で勝つことはまずなかった。女性特有の繋がりというのは強固なもので、俺が何か妹を怒らせるようなことをすればすぐに母に伝わって、二人からなじられるのだ。俺が消極的な性格になってしまったのはこの母と妹のせいなのではないか、とわずかに思うのだった。

「佐藤さんは優しい方ですもんね」

村雨さんは微笑みながらそう言うと、ティーカップに口をつけた。 礼儀作法に詳しい訳では無いが、彼女の振る舞いはとても上品だった。 カップを摘む細い指先が美しく、思わずじっと見つめてしまう。

村雨さんは兄弟とかいるんですか」

「そうですね…… 姉、のような人がいます」

姉のような人とは一体何だろうか。 気になったが、あまり詮索しすぎるのも失礼かと思い、聞き流すことにした。

「へぇ…… お姉さんがいらっしゃるんですね。 仲は良かったんですか」

「はい! お互い、趣味が似ていたのでよく一緒に遊んでいましたね」

そういえば、村雨さんの好きなものは聞いたことがなかった。 ひとつ屋根の下で暮らしているというのに、俺は彼女のことを何も知らないのだ。

村雨さんはどんな趣味があるんですか」

「読書や、アニメを観るのが好きです。 SF小説が好きで、よく読んでます! アニメは色々観てますが、ガンダムシリーズが一番好きかもしれないです」

 村雨さんのような可愛らしい女性が、SF小説ガンダムが好きというのはかなり意外だった。

ガンダムなら、俺もいくつか観てます。 どのシリーズが好きですか? 」

「特に印象に残っているのはZZとSEEDです! どちらかというとSEEDが好きかもしれません」

「なるほど、そうなんですね…… 」

ガンダム宇宙世紀の作品しか見ていなかったので、SEEDは観ていなかった。ファーストを中心に展開されていく、宇宙世紀が舞台の物語が真のガンダムで、宇宙世紀モノ以外はガンダムの名前を使ったロボットアニメだというのが俺の認識だった。だから、宇宙世紀モノ以外をこれまで積極的には観ようとしていなかった。

「SEEDも人気な作品ですよね。俺、まだ観たことがなくて」

「そうでしたか…… 凄く面白いので、佐藤さんにもぜひ観ていただきたいです! SEEDがどんなお話かはご存じですか? 」

「何となくは…… 遺伝子操作によってより優れた能力を持った人間と、自然のままに生まれた人間同士の戦争の話ですよね」

「はい! 遺伝子操作をされていない"ナチュラル"と呼ばれる人々と、遺伝子操作された"コーディネイター"と呼ばれる人々はお互い憎みあい、敵として認識しています。その対立構造に隠れているのは、自分より優れたものに対しての羨望と嫉妬、奪われたら奪い返してやるという怒りと復讐心です。 SEEDでは、そのように人々を戦争へと駆り立ててしまう、人間の根源にある負の感情を浮き彫りにしているところがすごく好きなんです」

村雨さんは心なしか、いつもより少しだけ早口にSEEDの魅力を語った。

「あっ、すみません。 私、なんか語ってしまって…… 」

「いえ、SEEDのことが結構好きなんですね。 俺も今度観てみようかな」

「ほんとですかっ!? 」

村雨さんはいきなりこちらに身を乗り出してきた。

「ぜひ、観ましょう! 私、ブルーレイボックスを持っているのでいつでも観れますよ! 今度お家で一緒に観ましょう! 」

村雨さんは俺の両手をとってブンブンと振る。 目はキラキラと輝いており、本当にガンダムが好きなのだということがひしひしと伝わってくる。

「そ、そうですね、今度観ます」

村雨さんのテンションに若干ついていけてない俺は、困惑しながら彼女に相槌を打った。

そんな俺を見たからか、村雨さんは少しだけ落ち着きを取り戻し、再び美しい姿勢で椅子に座りなおした。

「すみません、はしゃいじゃって…… 私の好きな作品を佐藤さんに布教できると思ったら、つい興奮してしまいました…… 」

「そんな、謝らなくて大丈夫ですよ。 俺もどちらかというとアニメオタクだし、そうなる気持ちもよくわかるので」

俺がそうフォローしたのだが、村雨さんは赤面しながらしばらく申し訳なさそうにしていた。

村雨さんの意外な一面を垣間見ることが出来たのは、このデートで一番の収穫だったのかもしれない。俺と同じように、アニメ作品を好んで観ることを知って、親近感も覚えた。 自分と趣味の合う女の子に好感を持たない男はいないだろう。 

これまで、宇宙世紀モノ以外はガンダムではないと考えていたので、そもそも観る気がなかったのだが、村雨さんがSEEDが好きというなら観てみよう。オタク的信条というのは、女の子の介入によっていとも簡単に捻じ曲げられてしまうものだ。

少し恥ずかしそうに紅茶を飲む村雨さんを眺めながら、俺はそんなことを考えていた。

 

茶店を出ると、外はだいぶ暗くなっていた。街灯には明かりが灯り、光輝く看板の数々は夜の闇を空の彼方へと追いやっている。繁華街らしい風景だった。

日中より一段と冷えた空気に、俺は身をすくめた。

「だいぶ寒くなりましたね」

村雨さんは白い息を小さな両手に吹きかけながら、そう微笑んだ。

「そうですね」

俺はカバンの中からマフラーを取り出し、適当に首に巻いた。 それから、村雨さんが今日一日マフラーを付けていなかったことに気が付いた。

村雨さん、マフラー付けてませんでしたけど寒くなかったんですか」

「はい! タートルネックのセーターだったので、日中はそこまで寒くなかったです」

相変わらず微笑んでいたが、その笑顔は寒さのせいか少しこわばっていた。

「今も、我慢できるくらいの寒さなので大丈夫ですよ」

人の気持ちを汲み取るのが下手な俺でも、それが流石にやせ我慢だということぐらいはわかった。

村雨さん、どうみても寒そうですよ」

俺はそこまで考えることなく、自然と体が動いていた。

「これ、俺がつけてたので申し訳ないんですけど、巻いてください」

先ほど巻いたマフラーを解いて、村雨さんに渡した。自分は体温が高いだろうからマフラーがなくてもどうにかなりそうだが、村雨さんはただでさえ小柄で華奢なのであまり体を冷やすと良くないのでは、と思ったのだった。

いや、それは後付けの理由かもしれない。 本当は理屈抜きに、村雨さんが寒そうにしているのを何故だか放っておけなかったのだ。

「いえ、そんな、申し訳ないですよ」

「俺のことなら気にしないでください。 一応雪国出身なので」

雪国出身なのは本当だが、実際のところ寒さに強いわけではなかった。

「すみません、マフラーお借りします」

村雨さんは申し訳なさそうにマフラーを受け取り、首に巻いた。

巻き方が綺麗なのか、何の飾り気のないベージュ色のマフラーも村雨さんが巻くと可愛らしい印象に仕上がった。

「ありがとうございます。 とってもあったかいです」

村雨さんは、ほわっと柔らかな笑みを浮かべてお礼を言った。

「いえいえ、あったかくなったのならよかったです」

俺はそんな笑顔を見て、つい頬を緩ませてしまった。

駅についてから、丁度乗りたい電車が発車間際だったので急いで電車に乗り、快速急行に乗ること約30分で最寄り駅に着いた。

最寄り駅の近くは、歩いていると数人とすれ違っていたが、自宅周辺になるとだいぶ人気がなくなっていた。

家に向かって歩きながら、俺は村雨さんと過ごした今日を振り返っていた。

思い返せば、俺は失敗してばかりだった。 村雨さんからの誘いがあった時点で、こうなることは大体予想はついていたが、やはり情けなく思えてくる。

髪型や服装が上手く決まらない。服屋の店員に話しかけられて店を逃げ出す。会計の時にクレジットカードと保険証を間違え出してしまう。実に情けない限りであった。

「今日はすみません…… 俺、色々とやらかしてしまって」

思わず口に出してしまっていた。 そういう風に謝っても、村雨さんが俺を咎めるといったことがないのが分かっていながらもあえて言うのは、情けない自分を許してもらおうとする狡い心の裏返しかもしれない。

「いえ、そんな! とっても楽しかったですよ」

村雨さんはすぐに俺の言葉を否定する。 

「本当ですか…… 村雨さんよりも年上なはずなのに、頼りなくて本当に申し訳ないです」

「そんなことないですよ! 私、本当にすごく楽しかったんですよ! それに、うれしい事もありました」

村雨さんは手に持っている小さな紙袋を指さす。 先ほど立ち寄ったアクセサリーショップの袋であった。

「佐藤さんから素敵なプレゼントをいただけました。 それがすごくうれしくて…… 」

胸の前で手を握って、彼女がぽつりとつぶやく。

「初めてだったんです」

初めて、という言葉についドキッとしてしまった。村雨さんはそのまま言葉を続ける。

「私、誰かから贈り物をもらうのは佐藤さんが初めてです。 贈り物って、いいものですね」

そう言って、村雨さんは晴れやかな笑みを浮かべた。 口角がきゅっと上がり、目が三日月形に細められる。誰が見ても好印象を抱くはずの、百点満点の笑顔であった。

村雨さんは、これまで誰からもプレゼントをもらったことがないのだろうか。家族にも友人にもプレゼントを贈られたことがないのか。 少し気になったが、それを聞くのは村雨さんに失礼だと思い、深くは考えないようにした。

「ネックレス、喜んでもらえてよかったです。 買った甲斐がありました」

俺はそんな眩しい笑顔を直視することが出来ず、自分の足元を見ながら答えた。

「私も佐藤さんにプレゼントをしないきゃいけませんね」

「そんな気にしなくてもいいですよ。 俺が勝手に渡しただけなんですから」

「しなきゃ、という言い方が悪かったですね。 佐藤さんにプレゼントしたい、ということです」

村雨さんはいたずらっぽい笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込んだ。いつものふんわりした印象とは違い、今の村雨さんは少しだけコケティッシュな、十代の女の子とは思えない色っぽさがあった。

村雨さんが立ち止まった。 俺もつられて立ち止まる。 周りには俺たち以外誰もいない、静かな住宅地だ。

「少しかがんで下さい」

村雨さんの言葉には、不思議と強制力を感じた。 俺はなにも言わず、少しだけかがむ。

そして、村雨さんが俺の目の前に来た。 だんだんと村雨さんの端正な顔がゆっくりと俺の顔に近づいてくる。

まさか。 このままキスされてしまうのか。

勿論、俺はキスなんて一度もしたことがなかった。 昼飯を食べた後に歯を磨いたから、においは大丈夫なはず。いやでも、さっきコーヒーを飲んだからもしかすると臭いか? いや、そんなこと考えている場合じゃない。キスだぞ? このままだとキスされてしまうぞ? 俺たちは恋人同士というわけでもないのにいいのか?

頭の中で目まぐるしく思考が巡っていく。動悸が激しくなり、頭に血が上る。 俺は村雨さんを拒むことができず、そのまま固まったままだった。

そして。

村雨さんの唇が触れた。 とてもみずみずしく、柔らかな唇だったが…… 

「もしかして、口にされると思いましたか?」

いたずらっ子のような笑みを浮かべ、村雨さんは聞いてくる。

村雨さんがキスをしたのは俺の唇ではなく、頬であった。 

「べ、べべ別にそんなこと思ってないです!」

俺は慌てて否定した。

「ふーん、そうなんですか? その割に顔は真っ赤ですよ」

「そりゃ、口じゃなくたって恥ずかしいものは恥ずかしいですよ!! 何で急にこんな…… 」

「プレゼントへのお礼のつもりです。 ……嫌でしたか? 」

村雨さんは、少しうるんだ瞳で俺の顔を見る。

言葉を失った。 こんなの、嫌だと言える男がいるわけないじゃないか。

 「嫌なわけないじゃないですか…… 」

俺は少し掠れた声でぼそっと答えた。

「……すみません、よく聞こえませんでした。 何とおっしゃいましたか」

「何でもないです!」

どうやら俺のつぶやきは小さくて聞き取れなかったようだ。 俺は恥ずかしくて言い直すことが出来なかった。

「ちょっとだけ、佐藤さんをからかいたくなってしまって…… すみません」

村雨さんは、全く申し訳なさそうではない。むしろ楽しそうだ。

「口へのキスは、まだおあずけです」

人差し指を唇に軽く付けながら、くすりと笑う。 喫茶店で見れた、ガンダムオタクな村雨さんが、村雨さんの意外な一面だと思っていたが、まさか俺をからかって楽しむこんな小悪魔的な一面もあったなんて。 

人間というのは、多面的な存在だ。 覗くたびに少しずつ模様を変えていく万華鏡のように、村雨さんや俺にだって様々な一面が隠されているのだ。村雨さんの意外な一面を見て驚くのは、 俺がまだ村雨さんと関わるようになってから日が浅く、彼女を理解しきれていない部分が大いにあるからだろう。

俺がいつまで異常独身男性監視委員会からの監視を受けるのかは分からないが、村雨さんのことをもっと知りたい、まだ俺が知らない彼女の色んな一面を見てみたいと思った。

それと同時に、俺と村雨さんは監視対象と監視官の関係だったはずなのに、どうして村雨さんは俺に積極的に関わろうとするのだろうか、という疑問が頭をよぎった。 

人生で初めての、女性と深く接する経験に浮ついてしまう俺と、この恵まれすぎた現状を冷静に俯瞰する俺の二つの相反する自分の意見が脳内をひしめき合う。俺は複雑な気持ちで村雨さんと帰路につくのだった。

 

 

 

異常独身男性の憂鬱⑤

 村雨さんの服を買い終えた俺たちは店を出た。
 「私の買い物にお付き合いいただきありがとうございます」
 「いえ、 俺が役に立ってたのかどうかって感じでしたけど…… 」
 俺がしたことといえば、新しい服に着替えた村雨さんを眺めて呆けることぐらいだったのだが。それにしても、あの服の破壊力は甚大なものだった。小柄で可愛らしい村雨さんにとって、ガーリーな服装はまさに鬼に金棒といったところか。
 「佐藤様が感想を言ってくださったお陰でこういう服を買おうと思えました。 正直、自分ではこういった系統の服は中々選ばないので…… 」
 少し恥ずかしそうに、彼女は微笑む。
 「まあ、お役に立てたのならよかったです」
 そんな彼女を見てると、何故だか俺まで照れくさくなってしまったので視線を横に逸らした。
 「それじゃ、村雨さんの服を買えたので…… 」
 「あの…… 」
 帰りましょうか、と言おうとした時、村雨さんも何かを言おうとしていた。
 「あっ、すいません」
 「いえ…… 」
 気まずい沈黙が流れる。先に言葉を発したのは村雨さんだった。
 「せっかくなので、佐藤様の洋服も見に行きませんか? 」
 「えっ、別に俺のはいいですよ…… 」
 こんな洒落たビルの服屋は入りづらいし、ましてやそこで店員とコミュニケーションをとって服を買うなんて芸当が今の俺にできるとは到底思えなかった。
 「でも、私も佐藤様の洋服を一緒に探したいです。 ダメですか? 」
 村雨さんは少しうるんだ目で俺を見つめる。上目遣いに小首を傾げる様はいじらしいの一言に尽きる。こんな顔で頼まれれば、どんな頼みでも首を縦に振るしかないだろう。
 俺は小さくため息をついた。
 「…… そうですね、せっかくですし見てきましょうか 」
 「ええ、そうしましょう! 」
 村雨さんは勢いよく頷く。 なんだか嬉しそうだ。
 メンズファッションを取り扱うフロアはこの階の上にあった。
 エスカレーターに乗って上に登る。先に村雨さんが乗ったので、俺は一段空けて後ろに乗った。

だが、村雨さんは何故か一段降り、こちらににっこりと微笑むと、当たり前のように俺のすぐ前に乗ったのだった。急に縮んだ距離に、俺は思わずドギマギした。

 村雨さんは女性の中でもかなり小柄で、俺より一段上に乗っているというのに俺の身長を超えることはなかった。彼女のボブカットの黒髪が俺の目の前にある。地毛なのだろうが、真っ黒というわけではなく、少し明るめの細い黒髪は見るからに柔らかそうで、思わず触ってしまいたくなる。それに、何の匂いか分からない甘やかな香りが漂ってくる。
 「男性の服屋さんには入ったことがないので、少し楽しみです」
 村雨さんが振り返る。俺は彼女の後姿をじっと見ていたことを悟られたくなくて、思わず目を逸らしてしまった。
 「あ、そうなんですね。 ええ、そうですよね」
 エスカレーターに乗ってる間に話しかけられるとは思ってなかったので、要領を得ない返答になった。
 そんな俺に対しても、村雨さんは嫌な顔一つせずに接してくれた。気の利いた事も言えず、話術に長けているわけでもないから、村雨さんを楽しませられていないはずなのだが。

 次の階に着いた。これまで見てきた階は、階ごとに似たような雰囲気の店が集まっていたのだが、それとは違ってカジュアルな服からフォーマルな服まで、幅広い系統のアパレルがこのフロアに立ち並んでいた。メンズファッションの店はこの階に集約されているからなのかもしれない。
 「あっ、ここなんてどうでしょうか」
 村雨さんが指さすのは、革のライダースに派手な柄のシャツを合わせたマネキンだった。
 「いや、絶対こんなの俺には似合わないです」
 野性的で体格の良い男性になら似合うのかもしれないのだが、俺みたいな人畜無害そうな男がこんな服を着ても、服に着られているようにしか見えないだろう。
 「そうですか…… 佐藤様に似合うと思ったのですが」
 村雨さんはいかにも残念といった感じでうなだれた。お世辞だと思うのだが、あまりにも自然な態度なので、もしかすると本気で言っているのかと思ってしまう。だが、それがお世辞なのかどうかは確かめる気にならなかった。
 その店以外にも、ジャケットやスラックスなどのビジネススタイルを取り扱う店やストリート系ファッションの店もあったが、入りづらいので素通りした。

 俺みたいな垢ぬけない男でも何とか入れそうな店を見つけた。誰が着てもそこまで失敗しなさそうな、着丈に余裕のあるセットアップが店頭に飾られている。ストリート系のようにカジュアル過ぎず、かと言ってスーツのようにフォーマル過ぎない、良い塩梅の服装のように思える。

「ここならいけるかもしれない…… 」

「いいですね! じゃあ入ってみましょう」

 店内はモノトーン調で統一され、洗練された雰囲気を醸し出している。店員も他の客も着ている服は皆洒落ているので、俺が場違いな気がしてやはり居心地が悪い。そんなことを考えながら体をこわばらせていると、後ろから店員に話しかけられた。

「あー、そのシャツは今年結構売れてるんですよ」

 どうやら俺が、目の前にあるシャツに関心を寄せているのだと勘違いしたらしい。営業スマイルを浮かべる彼は紺のジャケットにキャップという、一見アンバランスだが不思議と調和のとれたファッションをしている。

「あっ、あぁ、そうなんですね…… 」

 急に話しかけられて驚いた俺は肩をびくつかせ、消え入りそうな声で返答した。

「良ければ試着もできますので、その時はお声がけください」

 挙動不審な俺を見ても笑みを崩すことなく、ゆったりそう言うと彼は別のところへと行ってしまった。

 情けない。彼は見るからにまだ20代前半で俺より年下だろうというのに、おどおどした態度でしか対応できないなんて。それに横には村雨さんがいる。

 彼女の方を向いてみると、侮蔑混じりの笑みを浮かべていた…… ということはなかったが、相変わらず口元に笑みを湛えながらこちらを不思議そうに見返すだけであった。

 「佐藤様、どうかなされましたか」

 「いや、別に…… 」

 村雨さんから軽蔑されればどんなに楽か。こんなに普通の態度で接されると、己の心に巣食う劣等感の蠢きをじっくりと味わわないといけないので、かえって胸が苦しい。

 周りを見てみると、服を見に来ている若い男女のカップルや店頭に飾ってあったシャツを上手に着こなす店員、先ほど話しかけてきた店員が目にとまった。 その誰もが洒落ていて、自分のファッションに自信ありげだ。彼らは俺のことを見て、嘲笑っているような気がする。 勿論、そんなのは被害妄想に過ぎないのだが、今の俺にはそれが何よりも正しい事だと思えてくるのだ。

 手が震え、汗が止まらない。 俺は彼らを視界に入れないよう、俯いた。

 「……すいません。俺、ちょっと気分悪いんで」

 本当は、体は健康そのものだった。取ってつけたような理由であるのはよくわかっているのだが、これ以上みじめな気持ちになりたくなかった。一刻も早くここから立ち去りたかった。

 俺は村雨さんの方を見ずに、早足で店の出口へと向かった。

 変な汗が出て、背中がじっとりと冷たい。そのことに気が付くぐらいに落ち着いてから、村雨さんを店に置いてきてしまったことに気づいた。

「佐藤様、大丈夫でしょうか? 」

振り返ると、すぐ後ろに村雨さんがいた。どうやら何も言わずについてきていてくれたらしい。

様、をつけて俺を呼ぶ村雨さんに、すぐ近くをすれ違った人が怪訝そうな顔でこちらを見た。恐らく村雨さんの声が聞こえたのだろう。

「気分が優れないのなら、どこかで一旦休みましょうか?」

 心配した様子で、彼女は俺の顔を覗き込んだ。

「あっ、いえ、大したことはないので」

彼女に気を使わせてしまっている申し訳さで、胃がキリキリと締め付けられるようだ。

 「そこにベンチがあるので、少し休憩しましょう」

村雨さんは、休憩所の中にある二人掛けのベンチを示す。 机やベンチは木目調で統一されており、ご丁寧に休憩所の部分の床だけフローリングになっている。かなり洒落た休憩所であった。

俺は無言でうなずき、村雨さんと少し距離を置いて腰かけた。

「…… 置いて行ってしまってすみません」

「いえ、大丈夫ですよ。 それより、佐藤様の方が心配です。顔色も悪いみたいですし…… 横になった方が楽だったりしますか? 良ければ膝枕もいたしますよ」

村雨さんは自分の太ももをポンと叩いた。  

「あっ、いや、本当に大したことないので」

俺は慌てて首を横に振った。ワックスを塗りたくった自分の頭が、村雨さんの服に触れるなんてもってのほかだ。そうじゃないにしても、彼女の恋人でもないのに膝枕をしてもらうのは許されないことだろうし、公共の場で女性に膝枕してもらうのはかなり恥ずかしい。

村雨さんは、「間違っていたら申し訳ないのですが」と前置きをしてから話を始めた。

「佐藤様が今気分が優れないのは、精神的な問題だったりするのでしょうか。 佐藤様はあのお店に入ってから、とても緊張されていたように見受けられました。 ですので、ひょっとしたら体というよりは心の調子が悪くなってしまったのかな、と思ったのです」

図星だった。 村雨さんの言うとおり、普段なら絶対に入れないような店に行って緊張しすぎた結果、その場にいるのが嫌になって店を出てしまったのだ。

これが俗にいう、"女の勘"というものなのか。 女性は男性より、人間の感情の機微に敏感だと聞いたことがあった。無論、俺は考えていることが表に出やすいので、それもあるのだろうが。

「私、佐藤さんの力になりたいんです。 誰かに話すだけでだいぶ心が軽くなることもあると思います。 良ければ話していただけませんか」

村雨さんはそういうと、まっすぐに俺の目を見つめた。その目を見ていると、俺の心の中にある醜い羞恥心までもを見抜かれてしまいそうに思えたので、目を逸らしてしまった。

俺は逡巡した。 あの店で俺が思ったことを正直に伝えてよいものなのかと。 村雨さんはいつになく真剣な顔で俺を見るばかりで、他には何も言わない。

少しの間、二人の間に沈黙が訪れた。

「その、本当にくだらないことなんですけど…… 」

先に沈黙を破ったのは俺だった。 村雨さんにここまで言ってもらえているのに、ここで何も言わないのは不誠実な気がしたのだった。 全てを正直に話せるほど俺は素直ではなかったが、今の心情をかいつまんでなら話せると思った。

「俺はあまり今の自分に自信があるわけではないんです…… 特に、ファッションセンスとかの外見的な部分が、人より劣っているとは普段から思っているんですが、さっきのお店では店員さんも、来ている客もみんなお洒落で…… 自分がこのお店にいてもいいのか、浮いているんじゃないかと周りの目が気になったんですよ。 それでいたたまれない気持ちになって、店を出ちゃった感じです」

思ったよりスラスラと言葉が出た。 俺が話しやすいように、村雨さんがこちらを見ずに前を見てくれていたおかげかもしれない。

村雨さんは「そうでしたか」とつぶやき、こちらに向き直った。

「その気持ち、すごくよくわかります。私も自分に自信が持てないタイプなので…… でも、佐藤様はそんな自分を変えようとしていると思うんです。 今日の髪型はご自分でセットなさってますよね」

「はい…… へたくそですが」

「最初はだれしも上手くいかないものですよ。 佐藤様が私とのお出かけのために髪型に気を使ってくださったのは、とっても嬉しいです! 」

村雨さんはにっこりと微笑むと、そのまま話を続けた。

「そうやって、佐藤様は今の自分よりも良い自分に変わろうとしています。 それはとても凄いことです。 変わるというのは、相当なエネルギーを必要としますし、誰にでもできることではないと思います。 きっかけがなければ、そもそも変わる必要性に気づくことができずに一生を終えしまう人だっています。 だから、今の自分に自信は持てなくても、今の自分から変わろうとしていることに自信を持てたら、少し気持ちが楽になるかもしれませんね」

そう言い終わると、村雨さんは優しく俺に笑いかけてくれた。

村雨さんの言葉は、不思議と俺の心にすっと入ってきた。 彼女の話し方がそうさせるのか、言葉選びがそうさせるのかは分からなかったが、確実に言えるのは彼女のその言葉によって、俺の心が少しだけ軽くなったということだ。

「自分をよりよい方向に変えたいと思っている佐藤様は、とっても素敵だと私は思っております。 なので、どうか気負いすぎないでください」

村雨さんは俺の手の上に自分の手をそっと重ねた。 俺の手に比べるととても小さく、華奢な手だ。彼女の手から伝わるぬくもりが、少しずつ俺の心を優しく解きほぐしていくようであった。

いつもだったら、女性の手に触れたとなれば緊張と気恥ずかしさでどうにかなってしまうと思うのだが、今はとても静かな、心からの安心感を覚えていた。

「あの、俺、村雨さんのお陰で少し元気になれました。 本当にありがとうございます」

村雨さんと話していると、さっきまでのみじめな気持ちは薄れ、少しだけ心が暖かくなった。 自分1人だったらもっと落ち込んでいたはずだ。

「そうですか! 良かったです!」

村雨はうんうんと頷いて、嬉しそうに微笑んだ。

しばらく、そのまま二人とも黙って座っていた。 こうやって村雨さんと二人、並んで座っていると、街中でたまに見かける、完全に二人の世界に入り込んでいるカップルたちの気持ちが少しだけわかるような気がする。

「あの、2つほどお願いなんですけど……」

俺は村雨さんに話を切り出す。

「はい、何でしょうか?」

「その、佐藤様、と呼ぶのをやめてほしいです…… 俺、そんな偉くないし、なんか恥ずかしいです」

前から思っていたことだったのだが、先程休憩所に入る前にすれ違った人の反応もあって、この機会に様付けで呼ぶのをやめてもらおうと思ったのだった。

「そうでしたか…… わかりました! これからは何とお呼びすればよろしいでしょうか?

「そうですね…… 普通にさん付けですかね……?」

「了解しました! これからは佐藤さん、と呼ばせていただきますね! 」

村雨さんは笑顔で頷いた。 

「それで、二つ目は何でしょう」

「えっと、これ言うのはなんか申し訳ないんですけど、そろそろ手をどけてもらってもいいですか? ちょっと恥ずかしくなってきまして…… 」

村雨さんが俺を元気づけてくれた時に、俺の手に彼女の手を重ねてくれていたのだった。まだ手をそのままに重ね合っていたせいか、先ほどから、俺たちの座るベンチ前を通り過ぎる人たちがこちらをチラチラ見ているような気がするのだ。

ちょうど通り過ぎた男二人組がボソッと「バカップルかよ…… いちゃつきやがって」と呟いているのが耳に入った。村雨さんもさすがにそれで気づいたのか、顔を真っ赤にして、慌てて手を引っ込めた。

「す、すみませんっ! 私、気づかなくって…… 」

耳まで赤くなって恥じらう村雨さんは、年頃の少女のような初々しさが感じられて可愛かった。

「いえ、こちらこそすみません…… 」

お互いにぺこぺこと謝り合い、それで余計に周りからの注目を集めてしまうのだが、その時はそこまで気が回らなかったのだった。

 

ベンチでしばらく休んだ後、俺と村雨さんはこのデパートを出るためにエスカレーターで下に降りていった。  駅と繋がっている階まで下りようとしたが、途中でエスカレーターの接続がなくなったので、さらに下へ下りるエスカレーターを探しにそのフロアを歩き回った。

「あっ、このお店をみてもいいですか」

村雨さんはある店の前に立ち止まった。

どうやらこの店はアクセサリーを売ってる店らしい。キラキラしたピアスやネックレスが並ぶ狭い店には女性客が数人おり、思い思いにアクセサリーをみていた。

「全然大丈夫ですよ。 入ってみましょう」 

このお店も、女性客が多くて少し気まずいが、村雨さんが見たいというものを断る理由もないだろう。

「ありがとうございます! 」

そうお礼を言うと、村雨さんは店頭に飾ってあるアクセサリーをじっくりと見始めた。

俺もそれに倣い、村雨さんの横から眺めていた。 ピアスやネックレスはどこに付けるものかは分かるが、中には見ただけではどんな使い方をするのか分からないものもあった。この湾曲した薄い金属パーツに簪のような細い棒が刺さっているこれはどういう使い方をするのだろうか。

村雨さんは俺に気を使ってか、割とスムーズにアクセサリーを見て行っていたが、とある所で立ち止まった。何か気になるものでもあったのだろうか。

村雨さんの視線の先を見てみると、そこには台紙の付いたネックレスがいくつか立てて飾られていた。どれもキラキラとした小ぶりな飾りが1つ付いている。

「何か気になるものでもあったんですか?」

「あ、はい、これがキレイだなと思って」

村雨さんの指さす先には、小さな薄紫色の花の飾りが付いたペンダントが置いてあった。これは紫陽花の花だろうか。銀色の細い鎖に繋がったそれは、女性らしい可憐なデザインだった。

彼女は鏡の前でそのペンダントを首にあてがい、じっと見ていたが、

「これ、私に似合いますかね……? 」

小首をかしげ、俺の方を見た。

村雨さんの華奢な白い首元には、上品な紫陽花がよく映えていた。 柔らかで繊細な雰囲気のある彼女にぴったりだ。

「すごくいいと思いますよ 」

俺は素直に思ったことを伝えた。  

「ありがとうございます!これ買ってきます! 」

村雨さんはニコニコしながら、カウンターの方へ向かおうとした。 

「あっ、ちょっと待って下さい! 」

俺は村雨を急いで引き止めた。

「何でしょうか?」

「それ、俺に買わせて下さい」

ひょんな思いつきだった。 先程も村雨さんに助けてもらったし、普段から俺みたいな人間に対しても温和に接してくれる彼女へのお礼になればと思ったのだ。

「いえ、でも申し訳ないですよ」

「いいんです。 俺、さっき村雨さんに迷惑かけちゃったので」

「そんな……!私、迷惑だなんて思ってませんよ」

「俺に買わせてください」

村雨さんの持つネックレスを取り、俺はレジへ向かった。 感謝の思いがほとんどだったが、やはり俺も男なので、カッコつけたかったという部分も少なからずあった。

会計でそのネックレスの値段を聞いて、思ってた値段より数千円高いことに驚いたが、迷わずに会計をした。

クレジットカードで精算してもらうため、トレイの上にカードを置いた。

「カードですね。 ……あれ? 」

店員が困ったような声を出した。

「お客様、こちら保険証かもしれないです」

トレイに置いたカードを見やると、確かにクレジットカードではなく保険証が置いてあった。 カードと保険証は財布のすぐ近くに入れていたので、よく見ずに出した結果間違えてしまったようだった。

「うわっ! すみません!」

俺は慌ててクレジットカードを出した。

格好悪い。 村雨さんのいる手前、見栄を張ってプレゼントしようと思ったらこれか。 顔が熱く、鏡をみずとも自分が赤面しているのがよくわかった。

「時々、カードと間違えて免許証とかを出すお客様もいらっしゃいますよ」

店員は優しくフォローしてくれたが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。

村雨さんはというと、相変わらずの様子でニコニコとこちらを見ているだけだった。

「いや、ほんとすいません」

俺は気恥しさを拭えないまま、カード決済をしたのだった。

「ネックレス、ありがとうございます」

村雨さんがぺこりとお辞儀をした。

「いえ、村雨さんにはいつもお世話になっているので……」

「これ、大切にしますね」

ネックレスの小包を胸に抱きしめて、見ているこちらまで嬉しくなってくるような華やかな微笑みを浮かべていた。 

(つづく)

最近、脳内で植物を育てています

私は、脳内で植物を育てている。

その植物は、神経伝達物質であるセロトニンを養分として吸収し、成長していく。植物はゆっくりと脳を蝕み、いつしかその根が脳髄全体へと到達すると、思考や行動をも支配してしまう。自分の意思で体を上手く動かすことが出来なくなる。

布団から起き上がりたいのに、体が鉛のように重くなって全く起き上がれないのだ。生きるために食事をとり、栄養素を補給しなければならないのに、視床下部にまで根を伸ばすその植物がシグナル伝達系を弄り、食欲を減衰させてしまうのだ。

今の季節だと、窓の外から木枯らしの音が聞こえるだけで何故か胸が苦しくなる。そんな些細な刺激により、どうしようもない焦燥感で胸がいっぱいになる。

雲一つない秋晴れの空を眺めていると、その清々しさに自身の心境とのギャップを感じてさらに憂鬱になる。本来ならば、太陽の光をいっぱいに浴びれば脳内でセロトニンの分泌が促進し、幸福を感じられるはずなのに。

その植物は私の脳を支配してしまうと、それだけでは飽き足らず、私を肉体的な死へと追いやろうとする。

何の理由もなく、自分で自分の体を傷つけたい衝動に駆られる。 気が付いたら12階建てのマンションの屋上へと登ってしまう。 通販サイトで練炭と七輪を購入してしまう。 家のドアノブにズボンのベルトを掛け、突発的に首を吊ってしまう。

例え厳しい環境の中でも、工夫を凝らして生き残ろうと活動するのが生物としての本能であるというのに、この植物はそれとは真逆の行動を取らせようと画策する。

とある生物学者が、生物の合目的性における目的とは、種の生存に他ならないと言っていた。

種の生存というのは、個体が単独で生き残るような形質よりも、その個体がきちんと生殖し、未来へと遺伝子を残せるような方向で進化していくということだ。雄の孔雀の羽が美しいことや、牡鹿が牝鹿に比べて大きな角を持っていることなど、その進化を説明するために提唱された性淘汰がその例として挙げられる。

そのような合目的性こそが生物にとって重要であり、合目的性の有無が生物と無生物との境界となるという主張は少なからず存在している。


それなら、生殖をしようともせず、子孫を残さずに自ら死を選ぼうとする私は生物未満なのではないのか。

異常独身男性の憂欝④

その日の深夜。

俺は自室で寝ていたのだが、尿意を催してしまったので、眠い目をこすりながら手洗いに向かった。

俺の部屋から廊下を挟んで向かい側に村雨さんの部屋がある。なので、トイレに行く途中に彼女の部屋の前を通るのだ。

この扉の向こうで村雨さんが寝ているのだと考えると、自然と鼓動が早くなる。そんなに意識しているのが何だか恥ずかしくなったので、急いで通り過ぎようと思ったその時。

「はい、分かりました」

扉の向こうから、声が聞こえてきた。村雨さんの声だ。誰かと電話でもしているのだろうか。

「そうですね…… ――に喋らせるですね。あとは適度に――――――を取る。あとは研修時に学んだことを元に対処すればいいですよね」

かなり小声だからか、ところどころ聞こえない部分もあった。一体何の話をしているのだろう。

少し気になったが、彼女にもプライベートがあるので詮索するのは良くないと思うし、何より早くトイレに行きたい。

俺は足音を立てないよう、小走りにトイレへと向かった。

 

村雨さんとのデート当日の日曜日。

俺は午前中に急遽、仕事の用事が入ってしまったため、午後1時に現地集合ということになった。

村雨さんとの待ち合わせは、繁華街が近い駅の東口改札だった。

午前中の用事が予想以上に長引き、待ち合わせに遅れそうだったため、俺は気持ちはやめに歩を進めた。

村雨さんと、いや、女性と出かけるのは初めてなので、少し楽しみな反面、上手くやれるのかといった不安が頭の中の大部分を占めている。

デートについて分からないことだらけだったので、前日の夜にネットで色んなページを見た。

検索履歴は『男性 デート 気を付けること』『デート おすすめ 場所』『男性 デート マナー』といったワードで埋め尽くされていた。

しかし、そんな風に焦ってネットサーフィンしたところで、それは付け焼刃に過ぎない。俺はこれまでの積み重ねが一切ないので、いざデート本番になっても緊張のしすぎで自然でスマートに振舞える自信がない。

昨日見たページの中で、男性のヘアセット方法を説明する物もあり、そこでは男性も髪型に気を付けるのが当たり前だというように書かれていた。それを見た俺は、かなり焦った。

髪を切るのはいつも1000円カットだし、ワックスを使ってヘアセットをしようと思ったことが今までで一度もない。

昨日の夜に急いでコンビニに行き、適当に目についたワックスを買った。今日の朝はそれを使い、ヘアセットの解説動画を見ながら、見よう見まねで髪の毛をセットしてみたのだが、やはり上手くいかなかった。

選んだワックスが悪かったようで、髪の毛がかなり不自然な固まり方になってしまったり、なぜか前髪が割れてしまったり、手先が不器用すぎて輪郭が思うように形作れなかったり、散々な仕上がりになってしまった。

駅構内にある売店のガラスドアに映る自分の姿が目に入る。

寝ぐせを直し忘れたかのような、ぼさぼさな髪。高校の制服の上に着ていた、10年物の紺色のダッフルコート。あちこちがほつれて毛玉がついたままになっている。随分前に買った、履き古したスニーカー。靴底が削れてしまい、表面には乾燥した泥がついている。

これが、今の自分にできる精一杯のおしゃれだった。

 あまりにも情けなくて、周りの目が気になって仕方がない。これまではこんな風体でも気に留めることはなかったのだが、女性とのデートともなると、嫌でも自分の姿と向き合う必要が出てくる。女性の前ではなるべく理想の自分に近い姿でいたい、というどうしようもない見栄が自然と俺の心に沸き上がってくるのだ。

すれ違う人全てに、お前はみっともないぞ、と笑われているような気がしてきた。このまま帰りたいという気持ちに襲われたが、村雨さんが既に待ち合わせ場所に来ているはずだ。流石に彼女を置いて帰ることは出来ない。

 俺はなるべく、行きかう人々を視界に入れないよう、うつむきながら歩いた。

東口の改札付近までくると、村雨さんの方から声をかけてきてくれた。

「佐藤様、お仕事お疲れ様でした」

今日の村雨さんはいつもの黒いスーツ姿ではなかった。

ベージュ色をした厚手のワンピースに黒タイツ、茶色のチェスターコートといった清楚な出で立ちだ。小柄で華奢な村雨さんによく似合っていた。

いつものジャケットにタイトスカートではなく、ラフな恰好の村雨さんに不覚にもドキっとしてしまった。いつもよりちょっと大人びて見えるからだろうか。

「それじゃあ、どこに行きます? 」

村雨さんは小首を傾げて俺に尋ねる。

「えっ、えっと、どうしようかな…… 」

いつもと違う雰囲気の村雨さんを前にして、頭の中が真っ白になった。服を買いにどこへ行こうかは昨日きちんと調べたのだが、ちゃんと頭にインプットされてなかったのだ。

急いでスマホを取り出し、地図検索をし始めるが回線が遅くてなかなか表示されない。

「そういえば、あっちの方にいい感じのビルがありました! 今日はそこで服を見るのはどうでしょうか? 」

そんな俺を見かねたのか、村雨さんは地上に続く出口の階段を指さして言った。

「あ、そうですね…… 」

「じゃあ、行きましょうか」

村雨さんはいつもと同様に、にこやかである。歩き出した彼女の小さな背中を見ながら、初っ端からちゃんとリード出来なかったことに対して落ち込んでいた。

 東口のファッションビルに着いた。来ている客は若者が多く、高校生と思わしき人もいるのが印象的であった。女性の服以外にも、男性の服を扱うフロアがあるからか、男女のカップルがやけに多い。

これまでは、そんなカップルを街中で見かけると嫌な気分になることが多かった。

恋人を横に連れて歩いている男性たちは皆一様に自信に満ち溢れた顔をし、堂々としているのだ。

そんな彼らを見ていると、彼らと比べて自分がいかに劣っているのかに気づかされてしまう。彼らが持っている様々なものを、自分は持っていないのだと嫌でもわかってしまう。

だが、今日はそういったことはあまりなかった。不快感が全くないとは言えないのだが、いつもよりは嫌な劣等感に苛まれることが少なかった。何故なのだろうか。

俺はその理由をすぐには見つけることが出来なかった。とりあえず、いつもより傷つかないのなら、それは良いことだ。気にする必要はないのだろう。

「その、村雨さんはどんな服を買いたいんですか? 」

煌びやかな内装の化粧品店が並ぶ通路を歩きながら、何となくそんなことを聞いてみた。

「そうですね…… あまりファッションには詳しくないので、よくわからないです。 どんな服だといいのでしょうか…… 」

少し困った様子で村雨さんが答える。軽く曲げた人差し指を下唇に当てながら、一生懸命に考えてる姿は可愛らしかった。

「そうだ! 佐藤様が好きだと思う服を着てみたいです! 」

村雨さんは微笑みながら俺の目を見る。

「えっ、でも、俺の方が服には全然詳しくないと思うし…… 」

「いろいろなお店を見て、佐藤様がいいな、と思う服がある店があったら教えて下さい! そこで服を選びたいです」

「……分かりました。 それならできるかもしれないです」

そんな風に女性の服を見る機会はあまりなかったが、こんなに沢山の店があるのだから、俺が可愛いと思う服を扱っている店の一つや二つはあるのだろう。

エスカレーターを使って上の階へと進んだ。このフロアはカジュアルなブランドが集まっていた。

「こういうのは佐藤様的にはどうですかね? 」

村雨さんはとある店の入り口に飾ってあるマネキンを指さした。

大きなサイズのトレーナーに細身のジーパン、キャップを合わせたコーディネートだ。詳しいことは分からないが、スポーティでお洒落だとは感じた。だが、俺の好みかというと少し違うような気がした。

「お洒落でいいとは思うけど、そこまでかな……」

俺は正直に思ったことを伝えた。

「なるほど。 こういうのは佐藤様の好みではないんですね! 参考になります」

村雨さんは特に気を悪くすることなく、あっさりとそのマネキンを見るのをやめて次の店へと向かった。

それから、アパレル店の並ぶ通りをぶらぶらと歩きながら、服を見て行った。

自分一人では絶対に来ることのない、洒落た店が立ち並ぶ中、俺は居心地の悪さを感じていた。こんなところに自分のような、垢抜けない男がいてもいいのだろうか。

何より、村雨さんのような素敵な女性の隣を歩く資格があるのだろうか、と不安になってしまう。

村雨さんは自分のタイプだからという贔屓目を抜きにしても、かなり美形だと思う。実際、すれ違う男たちも村雨さんの方をじっと見ている奴が多い。

自然と注目を集めてしまうような、そんな魅力的な女性の横に、俺みたいな冴えない男が歩いていたとしたら。

周りの目が怖い。すれ違う人々は、何でお前みたいな奴が美人の横を平気で歩いているのか、と疑問に思っているに違いない。

村雨さんに申し訳ない。村雨さんはいつものスーツ姿でなく、綺麗なワンピース姿だし、髪や肌の手入れも普段からきちんとしているのか、見苦しいと思う部分が一切ない。それなのに俺は。

すれ違う人と目を合わせないよう、俺は自身のつま先を見つめながら歩く。薄汚れた、泥だらけのスニーカーが俺の視界を占めた。

次の階は、女性らしい服を取り扱っている店が多いフロアだった。店頭に飾ってある服もスカートやキレイめなブラウスなど、先ほどのフロアとはまた違った雰囲気のブランドが並んでいた。

「この階ならひょっとすると佐藤様が気に入る服があるかもしれませんね」

俺の隣を歩く村雨さんは柔らかな笑みを浮かべてこちらの様子を伺う。

「えぇ、そうですね」

確かに、さっきまでいた階に多く見受けられた、ジーパンやTシャツといった男女共に着れる服装より、スカートやワンピースなどの、女性にしか許されないフェミニンな服装の方が個人的には好きなのかもしれない。

「あっ、このお店なんてどうでしょうか」

 村雨さんが指さす先には、淡いピンクに統一された内装のアパレル店があった。

マネキンを見てみると、どれも膝上丈のスカートスタイルで、リボンやフリルといった女の子らしいモチーフが取り入れられた服ばかりが飾られている。

それらの洋服には、通りすがりに思わず目で追ってしまうような、俺の心を惹き付ける何かがあるような気がした。

「ここの店の服、すごくかわいいですね」

素直な気持ちが口に出た。

「本当ですか! 佐藤様がそう仰るのなら…… 」

村雨さんはそう言うと、迷わず店内に入っていった。

「あっ、待って下さい…… 」

俺は女性向けの服屋ということもあり、気後れしながら村雨さんの後を追った。

この店の客層はやはり女性ばかりで、男性でここにいるのは俺だけだった。かなり居心地が悪い。 

そんな中、村雨さんは1つのマネキンを指差しながら店員に「この服を試着させて下さい」と頼み、店員に連れられて試着室の中へと入っていった。

俺は1人になってしまったので、若干の心細さを感じながら試着室の前で待っていた。

試着室の入り口は薄紫のカーテンで仕切られており、その中で村雨さんはマネキンが着ていた服に着替えているらしい。

時々聞こえてくる衣擦れの音にドギマギしながら、スマホをいじって待っていると、

 「おまたせいたしました」

村雨さんの着替えが終わったらしい。ジャバラになったカーテンを引いて、彼女が現れた。

新しい洋服に身を包んだ村雨さんの姿を、俺はついまじまじと眺めてしまった。

胸元に小さいリボンのあしらわれた白いタートルネックセーターなのだが、肩の部分が開いており、村雨さんの華奢な白い肩がそこから覗いている。スカートは灰色のグレンチェック柄で、膝の上でふんわりと広がったシルエットになっていた。

「どう……ですか? 似合うでしょうか? 」

村雨さんは頬を赤らめながら、頼りなさそうにこちらを見つめる。

「すごく…… か、可愛いです…… 

それは本心からの言葉だった。先程まで着ていた、落ち着いた雰囲気の大人びた服もそれはそれで良かったが、今着ている少女趣味な服も、小柄であどけない印象の彼女にはとても良く似合っている。

それに、俺はどうやら女の子のこういう装いが好きらしい。

恥ずかしそうにスカートの裾を摘む村雨さんを見ていると、胸の中で何か温かいものが湧き上がるような心持ちになっていた。自然と頬が緩んでしまっているのが自分でもよく分かる。

「本当ですか……? 」

村雨さんはもの言いたげな目で俺の反応を疑わしそうに見ている。

「勿論です! 俺、嘘つくのは得意じゃないんで」

「そうですか…… 」

村雨さんは相変わらずもじもじとしていたが、俺の言葉を聞いて少し安心したらしく、柔らかな笑みを浮かべながら、「佐藤様にそう言って頂けると嬉しいです! 」と元気よく言った。 

そんな彼女の姿を見ながら、こういうのも悪くはないな、と思うのだった。

(つづく)