嘘八百日記

このブログ記事は全てフィクションです。

異常独身男性の憂鬱⑦

「ん、……ぁっ」

「ここがいいんですね……? 」

「あっ、は、ぁ…… そこ、きもちいい、ですっ…… 」

村雨さんの嬌声がリビングに響く。部屋は間接照明のみがつけられており、暖色の柔らかな光が彼女の肢体を艶めかしく照らしていた。

「じゃあ、ここなんてどうでしょう」

「ん、ふぅ…… そこ、だ、めっ…… ぁ、ぁ…… 」

俺の指先が村雨さんの体にゆっくりと沈み込む。なんて柔らかいんだ。男性のそれとは全く違う感触に、俺は我を忘れそうになる。

「やっ…… ぁ、それ、すごいです…… だめっ…… 」

村雨さんの声は快感の色に染まる。 俺の与える刺激に、体を僅かにびくつかせながら、だんだんと体が温まってきているのが指先から伝わってきた。

「んぁ、 ぁ、ぁっ……ぁ…… は、ぁ、それ、きもちいいっ、です…… さとうさん、すごいですっ」

 

 「……あの、そういう声出されると、ちょっと恥ずかしいというか…… ただのマッサージですし……」

「ふぇっ!? すみませんっ! あまりにも佐藤さんが上手だったので、つい……」

村雨さんは起き上がると、ぽっと頬を赤らめた。

俺はリビングの絨毯の上にうつ伏せになる村雨さんの背中をマッサージしていたのだった。

村雨さんとのデートから数週間が経った。 彼女との奇妙な同棲生活は続けている。

あのデート以降、俺は少しだけ村雨さんに気を許せるようになっていた。 今までは彼女のことを全く知らなかったのだが、デート中に色々と話をして、村雨さんの好きな物や照れたり焦ったりする人間らしい一面を垣間見ることが出来たからか、親しみのようなものを感じるようになったのだった。

俺は相変わらず仕事は続けており、昼間は家を空けていることが多かった。

村雨さんは掃除、洗濯、炊事と、この家での家事全般をやってくれていた。 どうやら村雨さんは月に一度、異常独身男性監視委員会の本部に行く必要があるそうだが、それ以外は報告書を作成するなど、家で出来る作業を普段はしているらしい。だから積極的に家事をやってくれていたのだった。 

とはいえ、流石に申し訳ないので、いつも何か俺にできることはないか、と村雨さんに尋ねていた。

大抵は「大丈夫ですよ」とにこやかに微笑んで俺に頼み事をすることが無かったのだが、今日は「ちょっとお願いがあって……」と言ってくれたのだった。

村雨さんのお願いは、マッサージであった。 どうやら今日は細かい作業が多かったらしく、体が凝ってしまったようだ。そんなことで良いならと、俺は二つ返事で了承した。

実家にいた頃は、よく母や妹に言われて肩を揉んでいたからか、人よりもマッサージが上手くなったのかもしれない。 少々いかがわしい感じになってしまったが、村雨さんに喜んでもらえたのなら良かった。

 

翌日。仕事でクタクタになった体を引きずって、家に帰った。 玄関はいつも通りに明かりが付いていた。 村雨さんが俺の帰宅に合わせて付けておいてくれるのだろう。玄関に暖房はないが、外と比べるとだいぶ暖かく、俺はほっとため息をついた。 

自分の部屋にコートと荷物を置いてからリビングに入ると、村雨さんはいなかった。 いつもはリビングに彼女はいて、「おかえりなさい」と出迎えてくれるのだが。 明かりは付いているが、村雨さんの姿は見えなかった。きっと自室にいるのだろうと思い、俺は手を洗うために洗面所に向かった。

いつもは開けっ放しになっている洗面所の引き戸が何故か閉まっていたが、俺は仕事で頭が疲れていたので、あまり深くは考えずに扉を開けた。

扉を開けると、そこには村雨さんがいた。一緒に住んでいるのだから、洗面所に村雨さんがいても何らおかしくはない。だが、村雨さんの恰好が問題だった。

今しがた風呂から上がってきたのか、村雨さんは一糸まとわぬ姿でそこに立っていたのだ。

全体的にほっそりとしており、凹凸の少ないボディラインには幼さも感じられるが、確かな膨らみのある小ぶりな胸、丸みのある尻は女性的な曲線を作り出していた。髪の毛はしっとりと濡れ、思わず触りたくなるほどに滑らかな肌はほんのり上気し、薄桃色に色づいているのが艶めかしかった。

見てはいけないものだとはわかっているので、すぐに目を逸らしたのだが、衝撃的でもあり、魅惑的でもあるその光景はばっちりと脳裏に焼き付いてしまった。

普段の村雨さんが絶対に見せない姿を不可抗力的に見てしまった俺は、服の上からは絶対に分からない、女性が本来持つ、男を惑わさずにはいられない曲線的な体つきに僅かな興奮を覚えるとともに、恋人でもない女性の裸体というとんでもないものを見てしまったという数多の罪悪感で胸がいっぱいになった。

俺の頭は真っ白になり、固まった。 予想だにしていない事態が起きると、人間はそう簡単に対応することが出来ないということなのだろう。 村雨さんもかなり驚いているらしく、顔を真っ赤にしながら反射的にバスタオルで裸体を隠したが、それ以降は固まってしまっていた。

「佐藤さん…… その…… 恥ずかしいです…… 」

「あっ、す、すみませんでした!!!!」

俺は我に返り、急いで洗面所から出て扉を閉めた。 扉を背にもたれかかり、破れんばかりに鼓動を打ち続ける心臓を落ち着けるために、二、三回深呼吸を繰り返した。

「こちらこそ、すみません…… 佐藤さんが帰ってくる前に汗を流しておこうかと思っていたのですが…… 」

「いや、村雨さんは何も悪くないですよ! 俺が何も考えずに扉を開けちゃったのが悪いです」

俺は慌てて否定した。 

「その、本当にすみません! 今見たのは全部忘れますから!!」

咄嗟に出た言葉だが、本当に全部忘れられるとは思えなかった。

「それは大丈夫ですよ! 気にしてるけど、気にしてないので!」

村雨さんも冷静でないのか、矛盾した発言をしてしまっている。

「やっぱり気にしますよね…… 絶対に忘れるので安心してください!! 1、2、ハイっ! 忘れました! 俺は何も見ていません! 」

「佐藤さん…… 」

村雨さんは少し嘆息すると、

「私ももう大丈夫です! なので佐藤さんもあまり気になさらず」

朗らかに許してくれた。 ありがたい限りだ。

風呂場での騒動の後、俺はかなりの気まずさがあったが、村雨さんはいつも通りにこやかに接してくれた。 軽蔑されてしまっても仕方がない状況であったにも関わらず、村雨さんは普通だった。それが何よりもありがたかった。

 

その夜。 俺は自分の部屋で既に寝ていた。 

部屋を暗くし、ベッドの上に横たわっていると、これまであったこと、これからのことがぐるぐると頭を駆け巡る。 今の自分の生活は、一年前の自分が到底考えつかないようなものに変化してしまった。 まさか自分が女性と同棲することになるなんて。 まあ、同棲の理由はあくまで俺の監視なのだが。

それを忘れてしまいそうになるほど、村雨さんは俺に対して自然に接してくれるし、彼女との生活は心地が良い。しかも、村雨さんの見た目は非常に俺の好みと重なっている。 俺は童顔で可愛らしい女性がタイプなのだが、村雨さんはその特徴を全て兼ね備えた女性である。 悪く思うわけがないのである。

そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。

「は、はい!」

こんな時間に村雨さんが部屋を訪れたことがなかったので、少しびっくりしてしまった。

「夜分にすみません。 入ってもよろしいでしょうか」

「ええ、いいですよ」

ドアが遠慮がちに開き、村雨さんが入ってきた。村雨さんはピンクのふわふわした生地のパーカーを着ていて、可愛らしかった。

「その…… 佐藤さんにお願いがあって」

「はい、なんでしょうか」

「えっと…… もし良ければ、私と一緒に寝てもらってもよろしいでしょうか」

「へ? 」

予想外の頼みである。 俺は素っ頓狂な声を出してしまった。 一緒に寝るってことは、このベッドの上で二人並んでということだろうか。 

「その、本当に一緒に寝るんですか!? 俺なんかと一緒のベッドなんて嫌じゃないんですか」

「嫌じゃないです。 むしろ佐藤さんと一緒がいいです」

「それに俺、あまり寝相が良くないかもしれませんし…… 」

「大丈夫ですよ。 私もさして寝相が良いわけでもありませんので」

村雨さんはやけに積極的である。 結局、俺は村雨さんの押しに負け、俺たちは一人分のベッドで二人一緒に寝ることとなった。

村雨さんの方を見て寝るのはかなり恥ずかしかったので、俺は村雨さんに背を向けて寝た。

村雨さんは、「すみません、ありがとうございます」と言い、俺と背中合わせに布団に入った。

「佐藤さん」

「はい」

「これはあくまで例え話なのですが」

村雨さんはそう前置きをして、ゆっくりと話始めた。

「ある少女がいます。 その子は、人並みに心を持っていて、人並みに感情も持っています。 でも、周りの人からはそういう感情は一切捨て、機械のように命令に忠実に動くことを望まれています」

ぽつりぽつりとつ呟くように話す村雨さんの声は、いつもより僅かに震え、頼りなさげだ。 

「その子はこれから先、どんな末路を辿るのかも、もうわかっています。 彼女はこの先、何を希望に生きていけば良いと思いますか」

村雨さんが今した話は、恐らく彼女自身のことなのだろう。 それは察しの悪い俺だってわかる。 だが、そうだとすれば余計に何と言えばよいか分からなくなる。 俺みたいな出会って1ヶ月の人間が不用意なことを言ってしまっては、村雨さんを傷つけてしまうかもしれないし、今の俺は彼女を満足させられる言葉を持っていなかった。

黙りこくってしまった俺を見かねてか、村雨さんは慌てたように言葉を継ぎ足した。

「こんな話されたって、どう答えればいいかわかりませんよね! すみません、少し怖い夢を見たので弱気になってしまって…… 」

顔は見えないが、きっと村雨さんは申し訳なさそうに曖昧な笑みを浮かべているのだろう。 俺は自分が情けなかった。 

俺は村雨さんの言葉のお陰で気持ちが軽くなったこともある。 彼女に助けてもらったことだってあるのに、俺は彼女の役に立てないなんて。

「…… 上手く答えられなくてすみません」

俺は村雨さんに謝罪した。  村雨さんは「全然大丈夫ですよ」と答えてくれたが、俺の心にはもどかしさとやるせなさが澱のように残った。

それっきり、二人の間には長い沈黙が訪れ、夜は静かに更けていくのだった。