異常独身男性の憂鬱⑥
デパートを出てから、俺たちは一息つくために駅から出てすぐの所にある喫茶店に来ていた。
チェーン店なのだが、コーヒーの豆にこだわっているらしく、価格が高めであるからか客の年齢層が高く、繁華街の中であるというのに落ち着いた雰囲気であった。
村雨さんと俺は窓側のテーブル席に座った。 俺はホットコーヒーとチョコケーキ、村雨さんは紅茶とモンブランを頼んだ。
「そういえば、佐藤さんはずっと一人暮らしをされているんですか? 」
「はい、大学時代からずっと一人暮らしでした」
前に住んでいたあのワンルームのアパートには、大学入学を機に住み始めたのだった。最近、村雨さんがやって来てから今のマンションに引っ越すまでの8年もの間、あのアパートに住んでいたということになる。
「そうなんですね! それでは、ご家族の方は寂しがっていそうですね」
「いやぁ、どうでしょうね…… 俺、実家では浮いてましたし…… 」
俺は苦笑いをしてしまった。
「俺の家族は、俺の他には母と妹がいるんですけど、やっぱり母と妹は女同士なので仲がいいんですよね。 俺が何か言っても母と妹が団結してねじ伏せるから、俺はいつも尻に敷かれている感じでした」
母も妹も我が強く、俺とは全くの正反対な性格だ。似たもの同士の母と妹はとても仲が良く、 俺が母か妹と喧嘩すれば大抵2対1になるので、俺が喧嘩で勝つことはまずなかった。女性特有の繋がりというのは強固なもので、俺が何か妹を怒らせるようなことをすればすぐに母に伝わって、二人からなじられるのだ。俺が消極的な性格になってしまったのはこの母と妹のせいなのではないか、とわずかに思うのだった。
「佐藤さんは優しい方ですもんね」
村雨さんは微笑みながらそう言うと、ティーカップに口をつけた。 礼儀作法に詳しい訳では無いが、彼女の振る舞いはとても上品だった。 カップを摘む細い指先が美しく、思わずじっと見つめてしまう。
「村雨さんは兄弟とかいるんですか」
「そうですね…… 姉、のような人がいます」
姉のような人とは一体何だろうか。 気になったが、あまり詮索しすぎるのも失礼かと思い、聞き流すことにした。
「へぇ…… お姉さんがいらっしゃるんですね。 仲は良かったんですか」
「はい! お互い、趣味が似ていたのでよく一緒に遊んでいましたね」
そういえば、村雨さんの好きなものは聞いたことがなかった。 ひとつ屋根の下で暮らしているというのに、俺は彼女のことを何も知らないのだ。
「村雨さんはどんな趣味があるんですか」
「読書や、アニメを観るのが好きです。 SF小説が好きで、よく読んでます! アニメは色々観てますが、ガンダムシリーズが一番好きかもしれないです」
村雨さんのような可愛らしい女性が、SF小説やガンダムが好きというのはかなり意外だった。
「ガンダムなら、俺もいくつか観てます。 どのシリーズが好きですか? 」
「特に印象に残っているのはZZとSEEDです! どちらかというとSEEDが好きかもしれません」
「なるほど、そうなんですね…… 」
ガンダムは宇宙世紀の作品しか見ていなかったので、SEEDは観ていなかった。ファーストを中心に展開されていく、宇宙世紀が舞台の物語が真のガンダムで、宇宙世紀モノ以外はガンダムの名前を使ったロボットアニメだというのが俺の認識だった。だから、宇宙世紀モノ以外をこれまで積極的には観ようとしていなかった。
「SEEDも人気な作品ですよね。俺、まだ観たことがなくて」
「そうでしたか…… 凄く面白いので、佐藤さんにもぜひ観ていただきたいです! SEEDがどんなお話かはご存じですか? 」
「何となくは…… 遺伝子操作によってより優れた能力を持った人間と、自然のままに生まれた人間同士の戦争の話ですよね」
「はい! 遺伝子操作をされていない"ナチュラル"と呼ばれる人々と、遺伝子操作された"コーディネイター"と呼ばれる人々はお互い憎みあい、敵として認識しています。その対立構造に隠れているのは、自分より優れたものに対しての羨望と嫉妬、奪われたら奪い返してやるという怒りと復讐心です。 SEEDでは、そのように人々を戦争へと駆り立ててしまう、人間の根源にある負の感情を浮き彫りにしているところがすごく好きなんです」
村雨さんは心なしか、いつもより少しだけ早口にSEEDの魅力を語った。
「あっ、すみません。 私、なんか語ってしまって…… 」
「いえ、SEEDのことが結構好きなんですね。 俺も今度観てみようかな」
「ほんとですかっ!? 」
村雨さんはいきなりこちらに身を乗り出してきた。
「ぜひ、観ましょう! 私、ブルーレイボックスを持っているのでいつでも観れますよ! 今度お家で一緒に観ましょう! 」
村雨さんは俺の両手をとってブンブンと振る。 目はキラキラと輝いており、本当にガンダムが好きなのだということがひしひしと伝わってくる。
「そ、そうですね、今度観ます」
村雨さんのテンションに若干ついていけてない俺は、困惑しながら彼女に相槌を打った。
そんな俺を見たからか、村雨さんは少しだけ落ち着きを取り戻し、再び美しい姿勢で椅子に座りなおした。
「すみません、はしゃいじゃって…… 私の好きな作品を佐藤さんに布教できると思ったら、つい興奮してしまいました…… 」
「そんな、謝らなくて大丈夫ですよ。 俺もどちらかというとアニメオタクだし、そうなる気持ちもよくわかるので」
俺がそうフォローしたのだが、村雨さんは赤面しながらしばらく申し訳なさそうにしていた。
村雨さんの意外な一面を垣間見ることが出来たのは、このデートで一番の収穫だったのかもしれない。俺と同じように、アニメ作品を好んで観ることを知って、親近感も覚えた。 自分と趣味の合う女の子に好感を持たない男はいないだろう。
これまで、宇宙世紀モノ以外はガンダムではないと考えていたので、そもそも観る気がなかったのだが、村雨さんがSEEDが好きというなら観てみよう。オタク的信条というのは、女の子の介入によっていとも簡単に捻じ曲げられてしまうものだ。
少し恥ずかしそうに紅茶を飲む村雨さんを眺めながら、俺はそんなことを考えていた。
喫茶店を出ると、外はだいぶ暗くなっていた。街灯には明かりが灯り、光輝く看板の数々は夜の闇を空の彼方へと追いやっている。繁華街らしい風景だった。
日中より一段と冷えた空気に、俺は身をすくめた。
「だいぶ寒くなりましたね」
村雨さんは白い息を小さな両手に吹きかけながら、そう微笑んだ。
「そうですね」
俺はカバンの中からマフラーを取り出し、適当に首に巻いた。 それから、村雨さんが今日一日マフラーを付けていなかったことに気が付いた。
「村雨さん、マフラー付けてませんでしたけど寒くなかったんですか」
「はい! タートルネックのセーターだったので、日中はそこまで寒くなかったです」
相変わらず微笑んでいたが、その笑顔は寒さのせいか少しこわばっていた。
「今も、我慢できるくらいの寒さなので大丈夫ですよ」
人の気持ちを汲み取るのが下手な俺でも、それが流石にやせ我慢だということぐらいはわかった。
「村雨さん、どうみても寒そうですよ」
俺はそこまで考えることなく、自然と体が動いていた。
「これ、俺がつけてたので申し訳ないんですけど、巻いてください」
先ほど巻いたマフラーを解いて、村雨さんに渡した。自分は体温が高いだろうからマフラーがなくてもどうにかなりそうだが、村雨さんはただでさえ小柄で華奢なのであまり体を冷やすと良くないのでは、と思ったのだった。
いや、それは後付けの理由かもしれない。 本当は理屈抜きに、村雨さんが寒そうにしているのを何故だか放っておけなかったのだ。
「いえ、そんな、申し訳ないですよ」
「俺のことなら気にしないでください。 一応雪国出身なので」
雪国出身なのは本当だが、実際のところ寒さに強いわけではなかった。
「すみません、マフラーお借りします」
村雨さんは申し訳なさそうにマフラーを受け取り、首に巻いた。
巻き方が綺麗なのか、何の飾り気のないベージュ色のマフラーも村雨さんが巻くと可愛らしい印象に仕上がった。
「ありがとうございます。 とってもあったかいです」
村雨さんは、ほわっと柔らかな笑みを浮かべてお礼を言った。
「いえいえ、あったかくなったのならよかったです」
俺はそんな笑顔を見て、つい頬を緩ませてしまった。
駅についてから、丁度乗りたい電車が発車間際だったので急いで電車に乗り、快速急行に乗ること約30分で最寄り駅に着いた。
最寄り駅の近くは、歩いていると数人とすれ違っていたが、自宅周辺になるとだいぶ人気がなくなっていた。
家に向かって歩きながら、俺は村雨さんと過ごした今日を振り返っていた。
思い返せば、俺は失敗してばかりだった。 村雨さんからの誘いがあった時点で、こうなることは大体予想はついていたが、やはり情けなく思えてくる。
髪型や服装が上手く決まらない。服屋の店員に話しかけられて店を逃げ出す。会計の時にクレジットカードと保険証を間違え出してしまう。実に情けない限りであった。
「今日はすみません…… 俺、色々とやらかしてしまって」
思わず口に出してしまっていた。 そういう風に謝っても、村雨さんが俺を咎めるといったことがないのが分かっていながらもあえて言うのは、情けない自分を許してもらおうとする狡い心の裏返しかもしれない。
「いえ、そんな! とっても楽しかったですよ」
村雨さんはすぐに俺の言葉を否定する。
「本当ですか…… 村雨さんよりも年上なはずなのに、頼りなくて本当に申し訳ないです」
「そんなことないですよ! 私、本当にすごく楽しかったんですよ! それに、うれしい事もありました」
村雨さんは手に持っている小さな紙袋を指さす。 先ほど立ち寄ったアクセサリーショップの袋であった。
「佐藤さんから素敵なプレゼントをいただけました。 それがすごくうれしくて…… 」
胸の前で手を握って、彼女がぽつりとつぶやく。
「初めてだったんです」
初めて、という言葉についドキッとしてしまった。村雨さんはそのまま言葉を続ける。
「私、誰かから贈り物をもらうのは佐藤さんが初めてです。 贈り物って、いいものですね」
そう言って、村雨さんは晴れやかな笑みを浮かべた。 口角がきゅっと上がり、目が三日月形に細められる。誰が見ても好印象を抱くはずの、百点満点の笑顔であった。
村雨さんは、これまで誰からもプレゼントをもらったことがないのだろうか。家族にも友人にもプレゼントを贈られたことがないのか。 少し気になったが、それを聞くのは村雨さんに失礼だと思い、深くは考えないようにした。
「ネックレス、喜んでもらえてよかったです。 買った甲斐がありました」
俺はそんな眩しい笑顔を直視することが出来ず、自分の足元を見ながら答えた。
「私も佐藤さんにプレゼントをしないきゃいけませんね」
「そんな気にしなくてもいいですよ。 俺が勝手に渡しただけなんですから」
「しなきゃ、という言い方が悪かったですね。 佐藤さんにプレゼントしたい、ということです」
村雨さんはいたずらっぽい笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込んだ。いつものふんわりした印象とは違い、今の村雨さんは少しだけコケティッシュな、十代の女の子とは思えない色っぽさがあった。
村雨さんが立ち止まった。 俺もつられて立ち止まる。 周りには俺たち以外誰もいない、静かな住宅地だ。
「少しかがんで下さい」
村雨さんの言葉には、不思議と強制力を感じた。 俺はなにも言わず、少しだけかがむ。
そして、村雨さんが俺の目の前に来た。 だんだんと村雨さんの端正な顔がゆっくりと俺の顔に近づいてくる。
まさか。 このままキスされてしまうのか。
勿論、俺はキスなんて一度もしたことがなかった。 昼飯を食べた後に歯を磨いたから、においは大丈夫なはず。いやでも、さっきコーヒーを飲んだからもしかすると臭いか? いや、そんなこと考えている場合じゃない。キスだぞ? このままだとキスされてしまうぞ? 俺たちは恋人同士というわけでもないのにいいのか?
頭の中で目まぐるしく思考が巡っていく。動悸が激しくなり、頭に血が上る。 俺は村雨さんを拒むことができず、そのまま固まったままだった。
そして。
村雨さんの唇が触れた。 とてもみずみずしく、柔らかな唇だったが……
「もしかして、口にされると思いましたか?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべ、村雨さんは聞いてくる。
村雨さんがキスをしたのは俺の唇ではなく、頬であった。
「べ、べべ別にそんなこと思ってないです!」
俺は慌てて否定した。
「ふーん、そうなんですか? その割に顔は真っ赤ですよ」
「そりゃ、口じゃなくたって恥ずかしいものは恥ずかしいですよ!! 何で急にこんな…… 」
「プレゼントへのお礼のつもりです。 ……嫌でしたか? 」
村雨さんは、少しうるんだ瞳で俺の顔を見る。
言葉を失った。 こんなの、嫌だと言える男がいるわけないじゃないか。
「嫌なわけないじゃないですか…… 」
俺は少し掠れた声でぼそっと答えた。
「……すみません、よく聞こえませんでした。 何とおっしゃいましたか」
「何でもないです!」
どうやら俺のつぶやきは小さくて聞き取れなかったようだ。 俺は恥ずかしくて言い直すことが出来なかった。
「ちょっとだけ、佐藤さんをからかいたくなってしまって…… すみません」
村雨さんは、全く申し訳なさそうではない。むしろ楽しそうだ。
「口へのキスは、まだおあずけです」
人差し指を唇に軽く付けながら、くすりと笑う。 喫茶店で見れた、ガンダムオタクな村雨さんが、村雨さんの意外な一面だと思っていたが、まさか俺をからかって楽しむこんな小悪魔的な一面もあったなんて。
人間というのは、多面的な存在だ。 覗くたびに少しずつ模様を変えていく万華鏡のように、村雨さんや俺にだって様々な一面が隠されているのだ。村雨さんの意外な一面を見て驚くのは、 俺がまだ村雨さんと関わるようになってから日が浅く、彼女を理解しきれていない部分が大いにあるからだろう。
俺がいつまで異常独身男性監視委員会からの監視を受けるのかは分からないが、村雨さんのことをもっと知りたい、まだ俺が知らない彼女の色んな一面を見てみたいと思った。
それと同時に、俺と村雨さんは監視対象と監視官の関係だったはずなのに、どうして村雨さんは俺に積極的に関わろうとするのだろうか、という疑問が頭をよぎった。
人生で初めての、女性と深く接する経験に浮ついてしまう俺と、この恵まれすぎた現状を冷静に俯瞰する俺の二つの相反する自分の意見が脳内をひしめき合う。俺は複雑な気持ちで村雨さんと帰路につくのだった。